「分娩第1期のケア」学生時代の教科書より

お産で入院した産婦さんにどのように具体的に対応するのか、二十数年前に学んだことを昨日に続けて振り返ってみようと思います。


日本看護協会出版会の「母子保健ノート2 助産学」(1987年)からの引用です。
ちなみに編者は青木康子氏、内山芳子氏、加藤尚美氏、平澤美恵子氏と書かれています。


昨日の記事の引用部分もそうでしたが、さまざまな価値観あるいは文化的違いなど幅広い対応を考慮する必要がある出産に対して、客観的記述で簡潔にとてもよくまとめられた教科書だと感動して読み返しています。


その中で分娩第1期、医学的には子宮口が全開するまでですが、陣痛が始まってからおおよそいきみたくなって赤ちゃんが生まれ始める前までの時期についての対応がどのように書かれているでしょうか。


看護の用語は独特な表現もあるので読みづらいところもあるかもしれませんが、助産師がどのような教育を受けてきたのか参考になればと思います。


<分娩第1期のケアと看護の基本方針>


2)分娩第1期のケア

 分娩第1期は特別に異常のないかぎり自然の経過にまかせるが、不随意な子宮収縮は、生理的ではあるが、産婦にとって苦痛を感じるものである。また胎児にとっても安全な環境とはいえない
 分娩経過において最も長い分娩第1期を、母子ともにいかに安全に過ごさせるかが大切である。

この時期の看護計画は以下のように書かれています。

1.母子の安全の確保に努める。
2.正確な経過観察と異常の予防、早期発見に努める。
3.産婦の心理的欲求を理解し援助する。
4.産痛の緩和と疲労の予防に努める。
5.感染防止に努める。
6.体力の保持に努める。


看護目標というのは、上位目標があり優先順位の高い内容から上げられていきます。
「母子の安全の確保」、これが最優先の目標です。


引用した「分娩第1期のケア」では、産婦の快適性という表現はでてきません。
優先順位が低いということではなく、母子の安全性が確保されていることが産婦さんの快適性の最低限の条件であるということです。


また看護目標の中の「産婦の心理的欲求を理解し援助する」「産痛の緩和と疲労の予防に努める」の項目が、産婦さんの快適性を具体的に実現させるための目標になります。


その点が次に引用する「基本的欲求に対する援助」に書かれています。


<基本的欲求に対する援助>


基本的欲求として、「体位と動静」「食事」「排泄」「清潔」「休息と睡眠」「精神的慰安」の6項目をあげて、具体的な対応について書かれています。


ところで昨日の引用部分も含めてケアの多くが、ナイチンゲールの「看護覚え書」(現代社)の目次に書かれているものと重なります。
たとえば目次では、「換気と保温」「物音」「変化」「食事」「ベッドと寝具類」「部屋と壁の清潔」「からだの清潔」「病人の観察」などがあげられています。


私たち助産師のケアもまた、産婦さんの生活の場を整えるという看護の基本に基づいた仕事であるということです。
それは最も快適性に直結したケアともいえるでしょう。


横道にそれましたが、上記の項目のうち「体位と動静」「精神的慰安」について部分的に引用します。


<体位と動静>

1.体位と動静


 産婦のとるべき体位、姿勢の原則はないので、産婦が最も安楽だという体位にまかせるとよい。
疲労が少なく陣痛間歇の長い間は、散歩、階段の昇降などをすすめ、分娩促進に努める。分娩第1期の産婦の臥床は、側臥位またはシムス位をとるようにするとよい。またゆったりとした座位、前屈の姿勢も比較的安楽な姿勢である。

アクティブ・バースとかフリースタイル分娩という表現が出る以前から、看護の基本として「産婦のとるべき体位、姿勢の原則はない」とし、「産婦が最も安楽だという体位にまかせるとよい」と述べられています。


側臥位が勧められているのも「ベッドに寝かせたままにする」という医療者側の都合ではなく、多くの産婦さんを観察してきた結果、まだ陣痛間歇が長い間は動くこともよいが、陣痛間歇が短くなってくると横になって休みたい産婦さんが多くなるというとらえ方が標準化されたといえるのではないでしょうか。


<精神的慰安>


分娩が開始すると、産婦の精神状態は、分娩に対する不安が強くなり、恐怖に変ってくるといわれている。産婦の精神的ニードを把握することは非常に困難であるが、身体的援助を提供しながら、次のような精神的援助を言葉と態度で表現していかなくてはならない。


この一文だけでも、名言と感じるほど助産師のケアの真髄をまとめたものだと感動します。


この一文として表現されるまでに、どれだけ多くの先達の試行錯誤の積み重ねがあったのだろうと思います。


「産婦の精神的ニードを把握することは非常に困難」
これは努力を放棄しているわけではなく、ほんとうにひとりひとり産婦さん自身とお産の経過も違い、真に理解できるなんて思い上がってはいけないという戒めではないかとおもいます。


またわからないものはわからないとすることこそ、科学的思考の第一歩かもしれません。


ですから11月16日の記事で紹介した、フリースタイル分娩の「最も大事なことは産婦の身体や精神を抑圧することから解放すること*」という言い切った表現を助産師が使うことは、看護とは違うという違和感はこのあたりかと思います。
http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20121116


さて、精神的援助については以下のように書かれています。

1.そばにつき添い、疼痛部位を聞き、圧迫、さするなどの行為をし、安心感をもたせる。
2.分娩を積極的に受け入れるように勇気づける。
3.分娩経過の説明を順次行う。
4.環境の整備をする。
5.産婦と看護者の人間関係をよくするように努める。
6.不安を与えるような言動はしない。
7.処置およに診察をする時はよく説明してから施行する。
8.夫や姑などの来院または電話があった時にはそれを知らせ、家族の励ましの中にあることを伝える。


看護者は常に産婦の支援者となり、産婦が自立し勇気をもって分娩に臨むように方向づけていかなくてはならない。


日ごろは助産師の世界を批判している私ですが、助産婦学校の同期を思い出しても本当に皆、喜ばれる助産師になりたいと頑張っていたことを名誉のために強調しておきます。


そして当時の学校でも、こんなにすばらしい教育を受けていたのだとあらためて思います。


決して「分娩進行中は仰臥位にさせる」とは学んでいません。
自由に動くことをよいものとして教育を受けています。


あるいは、難しいテクニックはいらないと思います。
まだまだ経験の浅い人でも、上記の基本に立ち返り産婦さんのそばについていられたら本当に喜ばれることでしょう。



こうして飛び立って病院で働き始めた私たちですが、なぜこんなに病院のお産が否定的にとらえられ、あたかも産婦さんの快適性を奪っているかのようなイメージになってしまったのでしょうか?


この教育を生かせていないとしたら、何が問題なのでしょうか。


そんなことを考えつつ、次回はいよいよお産のあたりのケアについて考えてみようと思います。


11月23日訂正
*の部分を訂正しました。