医療介入とは 52 「分娩第2期のケア」学生時代の教科書より

お産が始まって陣痛を乗り越える分娩第1期には、昔から「産婦のとるべき体位、姿勢の原則はないので、産婦が最も安楽だという体位にまかせればよい」という認識が助産師にはあり、教育の中でもそのように教えられていたことを前回の記事で書きました。


その分娩第1期に「医療者の都合」とか「仰向けのお産」という批判があるとすれば具体的にどのような理由によるものかはまた改めて考えてみたいと思います。


おそらく「仰向けのお産」という批判の主な部分は、分娩第2期のケアに関してではないかと思っています。


<分娩第2期とは>


現在は、LDRといって陣痛室と分娩室の機能をもった部屋での出産を取り入れているところも増えてきましたが、設備面の経済的負担から陣痛室と分娩室を分けている施設が大半といったところでしょうか。このあたり具体的な資料がなくてすみません。


医学的には子宮口が全開するまでを分娩第1期、子宮口全開から児娩出までを分娩第2期とします。


ところが経産婦さんの場合、子宮口が全開する前から児が下降し始めて肛門圧迫感や怒責感が出始めます。
陣痛室と分娩室が分けられている施設では、分娩室に産婦さんを移すタイミングがあります。


「母子保健ノート2 助産学」(日本看護協会出版会、1987年)では「分娩室に移す時期」について以下のように書かれています。

初産:間歇1〜2分、発作50秒以上で、やや強度の収縮がある時
経産:間歇2〜3分、発作50秒ぐらいで、やや強度の収縮がある時


実際には陣痛の状態だけでなく、産婦さんの表情や痛みの訴え、そして内診所見などから分娩室に移す判断をします。


教科書の中では医学的な子宮口全開の時期ではなく、この分娩室に移ったあとを「分娩第2期」のケアとしています。


<分娩第2期のケア>


たぶんこの点が「仰向けのお産」「医療者主導」という批判にあたる部分だろうと思われる記述が確かにあります。


たとえば、「a.分娩進行に伴う観察と看護」では以下のように書かれています。

 分娩台に移ったら、陣痛間歇時に分娩衣に更衣し、腰下にゴム布を敷き臥床させ脚袋をつける。


「分娩台に移ったら臥床させる」
1980年代後半の病院で使われていた分娩台というのは、電動式で上半身の角度を調整したりすることはできました。
が、まだ産婦さんの快適性という点での配慮よりも高額な電動式ベッドのコストをどれだけ切り下げられるかのほうが重要な時代だった印象があります。
手術台兼用として使えることも重要で、ゆったりした幅のある分娩台というもの自体がまだまだ贅沢といえば贅沢な時代でした。


分娩台の写真はこちらの記事で。
「医療介入とは 34 <分娩台と分娩室>」
http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20121028


幅の狭い分娩台の上でお腹の大きな産婦さんが動く、しかも陣痛に伴って予測不能な動きをされる可能性もありますから、「転落防止」が一番の目的で「臥床させる」ということになったのだと自分の経験からも思います。


ただし必ずしもというわけでも、「仰向け」だけでもないことも「b.基本的欲求に対する援助」にはきちんと書かれています。

1.体位
 一般的には仰臥位とするが、第2期の初めで、しかも分娩進行のおそい場合は、産婦の好む体位をとらせ、しゃがむ、うずくまる、側臥位でもよい。
 仰臥位は産婦が腹圧を加えやすく、また分娩介助者からは診察しやすいという利点がある。


最終的には仰向けでの娩出が基本であるけれども、状況によっては分娩台から降りて好きな姿勢でよいと書いてあります。
ここまで書かれているのに、なぜ病院分娩や分娩台に対する批判の中で「仰向けのお産」とか「脚を固定されたままのお産」という受け止め方が出てきたのでしょうか。


上記の教科書の一文の中に、分娩室に入室したら「脚袋をつける」と書かれています。


脚袋をつける。
分娩介助者にすれば教科書の何ページ分かに匹敵するだけの分娩のための準備を思い浮かべる一言です。


分娩介助者側が脚袋をつける必要性とそのタイミングに関しての十分な説明や、本当にどこまで必要かという看護の視点での見直しが不十分だったことも、上記のような産婦さんの感想につながる一つの要因だったのではないかと思います。


<分娩の準備と「消毒野(しょうどくや)」>


医療の中では日常的な清潔・不潔という感覚とは違う、感染予防のための清潔度というものがあることを11月2日の「医療介入とは 38 <畳や床のお産、清潔と不潔>」でも書きました。
http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20121102


病院の室内空間にも、最も清潔にすべき場所から不潔な場所までの区分があります。
たとえば、手術室は最も清潔度の高い空間です。通常、細菌が触れることのない内臓などを手術創として開くので、空気中の細菌による術後の感染症をおこさないように注意が必要だからです。


分娩室というのも、手術室に準じた清潔区域の扱いとされています。
子宮胎内で雑菌に触れたことのない新生児の出生をできるだけ清潔な空間で受け入れるためと、分娩時の縫合や処置など無菌的な処置を必要とし、場合によってはそのまま帝王切開も可能な場所であるからです。


室内空間の清潔とともに、手術の時に術野(じゅつや)を消毒薬で消毒して清潔な布で覆うように、分娩時には手術に準じた準備をすることを基本として学びます。

赤ちゃんが生まれる頃になると、外陰部を消毒して「清潔な敷物を敷きますね。この上に脚をおろさないように気をつけてくださいね」と説明された記憶がある方も多いと思います。
脚袋をはいてもらうのは血液や羊水で産婦さんの脚が汚れないようにするためと、この清潔野を不潔にしない二つの目的があります。


助産師学生は分娩介助そのものも緊張しますが、この清潔野(せいけつや)の準備が実はとても緊張し、苦手意識があるのではないかと推測しています。私もそうでしたから。


タイミングが遅いと清潔野の準備が終わらなくて、赤ちゃんが生まれはじめてしまい大慌てです。産婦さんに声をかけることも忘れてしまうでしょう。
準備が早すぎると、産婦さんは脚をおろすこともできずに清潔な布類を不潔にしないような体勢を赤ちゃんが生まれるまで長時間していなければならなくなります。
いずれにしても後で臨床指導者の延々のお説教と反省会が待っていることでしょう。


実際に働き始めて臨機応変に対応できるようになると、一旦清潔野を作ってもまだ時間がかかりそうと思えば産婦さんが楽な姿勢をとれるように配慮できるようにもなります。
また側臥位で清潔野を作ったり、急に進行したお産でも最低限の清潔を守りながら分娩介助できるようになることでしょう。


ところが学生が基本として教わる時には、この清潔野を作ることだけでも10分とか20分ぐらいかかってしまいそうなほど、細かなルールがあるのです。
卒業して助産師として働き始めても、臨機応変にできるまでには時間も必要です。
あるいは大学病院など大きな施設では、なかなか個人の判断で臨機応変という対応が許されないこともあるのではないかと思います。


最近では消毒薬ではなく水道水による外陰部の洗浄でもよいのではないかという研究もされているようです。
ただし、水道水に変更したとしても清潔野を作ること自体の簡素化にはあまり貢献はしないかもしれません。


分娩でどこまで清潔野を確保するのか、案外、まだその根拠は明確になっていないのではないかと思います。
そのあたりが整理され分娩の準備を簡素化する努力をしていたら、病院のお産に対する批判もまた違っていたのではないかと思うのです。


<いきみの誘導法>


教科書の中では、息を長く止めていきむバルサルバ法が書かれていました。
この怒責法は産婦さんの自然ないきみたい感じと違ってしまったり、ただただ苦しいだけのこともあるので、産婦さんにとっては「自分で産んだ気がしない」とか「医療者におまかせした」ような気持ちが残りやすい場合もあると思います。
いきみの誘導に関しては、またあらためて書いてみたいと考えています。


さて教科書に書かれていたように仰臥位も医療者の介助や診察のしやすさという利点もあるけれど、「産婦が腹圧を加えやすい」という利点も書かれています。
確かに「分娩台はいきみやすかった」「横向きよりも上向きでいきみたい」という感想もよく聞きます。


「仰向けのお産」は医療介入のためだったのでしょうか。
座産は本当に産婦さんにとって快適だから行われていたのでしょうか。
そのあたりを次回、考えてみたいと思います。