医療介入とは 67 <分娩台への批判、1990年台後半>

1990年代初頭までは、助産所での分娩台上での「仰向け」のお産も「これこそがいいお産」と感動をもって紹介されていたことを前回書きました。


当時もすでにアクティブ・バースの影響で分娩台に対する批判があったことは記憶にあります。
主に「同じ姿勢で動けない」「足を固定される」という点だったと思います。


この「同じ姿勢で動けない」原因の一つとして、分娩直前の「清潔野(せいけつや)の準備」のタイミングがある可能性を、11月23日の「『分娩第2期のケア』学生時代の教科書より」http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20121123で書きました。


また、確かに分娩台の足台には足を固定するベルトがついています。
産婦さん側にすれば、「足を分娩台にくくりつけられる」束縛感のあるものです。


当時の学生時代の実習では、清潔野を準備する時点で産婦さんの足をベルトで固定するように教わりました。就職していろいろな助産婦学校から来たスタッフと働いても皆固定していたので、他の学校でも同じだったのだと思います。


これは決して「産婦さんの自由を奪う」ことが目的ではなく、他の手術時にも手足を拘束するのと同じで「清潔野を不潔にしない」ことが最大の目的だったのだと思います。あるいは緊急の処置が必要な時には、処置中の安全のためにどうしても固定が必要になります。


実際に働き始めて分娩介助経験が増えれば、この基本どおりでなくても臨機応変にできるようになります。
私自身、いつの間にかベルトで足を固定することはしなくなりましたし、できるだけ児娩出直前に清潔野を準備するように手際もよくなりました。


つまり、産婦さんの分娩台に対する不満は看護の本質的な部分で十分に対応が可能なことが多いということです。
あるいは、経済的に豊かになり医療機器メーカーの技術の進歩などで十分に産婦さんの快適性を追求した分娩台を作り出すことも可能です。


ところが、ある時期から「分娩台」そのものへの嫌悪感という感情が強調された批判が出始めました。
もう少し広げてみれば「分娩台と分娩室」への嫌悪感というものでしょうか。


<「分娩台よさようなら」>


分娩台といえばこの本を思い出すぐらいインパクトのある題名とサブタイトルでした。
「分娩台よさようなら  あたりまえに産んであたりまえに育てたい」
大野明子氏、メディカ出版、1999年


以前この本を購入したのですが誰かにあげたのか手元になくなってしまいましたので、本文を紹介しているサイトからの引用です。

お産が進むと分娩室に入ります。分娩室には分娩台があります。妊婦さん向けのお産の本や雑誌の多くは、もっぱら仰臥位、つまり分娩台で仰向けにいきむ姿勢を写真付きで紹介しています。これは妊婦さんの頭に刷り込まれ、お産は仰向けでするものというイメージができあがっています。分娩室に入った産婦さんは、これでようやく産めると安堵し、疑うことなく分娩台に上がり、仰向けになって足を広げ、バーをつかんで必死にいきみます。姿勢を変えようなどとは思いもよらないし、たとえ思ったとしても、そんなことはほとんど許されないことでしょう。そんなわけで、お産は仰向けでするものという思い込みと現実は、医療者にも産婦にも広く行き渡っています。けれどここに合理的な理由はあるのでしょうか。答えは、ここでも「いいえ」です。

仰向けで産む姿勢を、どうか想像してください。それは重力に逆らい、天に向かって赤ん坊を産み上げることです。本来、赤ん坊は、重力の助けを借りて産み落とすものではなかったのでしょうか。教育を受けた職業助産婦が出現する以前、仰臥位でのお産は存在しなかったといいます。そのような指摘がなされて久しいにもかかわらず、仰臥位でのお産、仰臥位での分娩介助が依然として主流であるのは、なぜでしょう。
それは医療者の怠慢と習慣にすぎないのではないでしょうか


この本が出た当時の私も一緒に働いてきた同僚もできるだけ「待つお産」をこころがけ、分娩台の上でもぎりぎり児娩出直前まで好きな姿勢をとってもらいましたし、側臥位でも介助していました。


そんな私でさえ、この本の内容には共感よりも強い違和感が残るものでした。
当時は、その気持ちをどう表現してよいのかわからなかったのですが。


今読み返して、「この本に書かれているような出産はどこの病院のことだろう」ということです。


おそらく著者は、助産婦になったばかりから数年ぐらいの人たちが多く働く大病院での経験をもとにして、一般化して表現したのではないかと思います。
そういう病院ではまだ基本に則った分娩介助をせざるを得ないし、力量的にも臨機応変にとはいかないことでしょう。またハイリスクの出産もあることでしょう。


もう少し、日本の分娩施設を広く見れば「姿勢を変えようなどとは思いもよらないし、たとえ思ったとしても、そんなことはほとんど許されない」なんてことは決してなかったと思います、当時でも。


横道にそれますが、似たような違和感は院内助産のあたりで書いてきた「自律した助産師」を主張する人たちにも感じます。
おそらく多くの病院では普通に助産師が分娩の判断を任されているのに、「医師の指示のもとにしか働けない助産師で自律していない」と簡単に一般化されいわれもない批判をされてきました。


たぶんどちらも、全体を見ていないのに自分の経験だけで断定してしまっているのではないでしょうか。
日本の中でももっと多様性があるのに、大きな病院での経験だけで目に入らないのだと思います。そういう人たちは。


そして今までいくつかの資料から近代産婆が仰臥位分娩を広めてきた背景を見てきたなかで、それは十分に「合理的」な理由があったことをようやく私も自分で納得ができました。


「重力で赤ちゃんを産み落とす」ことは、決して人間にとって当たり前とか自然なことと結論づけてはいけない。
それを言えるのは、たくさんの分娩を介助してきた産科関係者だからこそなのです。


そして分娩台の仰臥位のお産(正確にいえば半座位ですが)は、決して医療者の怠慢でも習慣でもなく、おおよそ一世紀にわたって安全な出産のために古い習俗や衛生観念との闘いの中で築いてきた方法であったということです。