医療介入とは 53 <赤ちゃんを「取り上げる」こととトリアゲバアサン>

赤ちゃんを「取り上げる」。よく耳にする表現です。


昔の無資格の産婆さんのことを「トリアゲバアサン」とも呼んでいました。


私自身はほとんど使わないのですが、助産師になって二十数年にして初めてこの「取り上げる」という表現の由来について最近知りました。


叢書・いのちの民俗学 1
「出産  産育習俗の歴史と伝承『男性産婆』」
板橋 春夫著、社会評論者、2012年9月25日初版。


その本の「トリアゲバアサンと生殺与奪権」という章の中で、トリアゲバアサンという言葉の由来について「お産革命」(藤田真一、朝日新聞社(文庫)、1988)から以下の部分を引用しています。

 母親が文字通り「産み落とす」のを「取り上げる」のが、そのころまでのお産であった。民俗学者は、この「取り上げる」という言葉を、娩出時の物理的なすがたとは考えず、赤ちゃんを神々の世界から人間の世界に「トリアゲル」「ヒキアゲル」という意味が込められていた、と解釈する。昔の日本人が、産まれたばかりの赤ちゃんをすぐに人間社会の一員とは認めず、神々からの預かりものとして、養育できないときは容赦なく間引いた。(p.100)


板橋氏は他の引用などから総合して、「トリアゲバアサンは生殺与奪権を持ち、現代とは異質な『いのち』の認識を持って出産に対峙していたと考えられている。」と書いています。


私は民俗学や歴史の検証方法はほとんどわからない素人なので、そういうとらえかたもあるのかぐらいしかいえません。


ただ「娩出時の物理的なすがた」については、もう少しこの本を参考にしながら考えてみたいと思います。


<トリアゲバアサンとコシダキ>


板橋氏は平安時代からの文献や江戸時代の上級武士の妻の出産のいくつかの記録から、出産にはトリアゲバアサンとそのアシスタント的なコシダキという役がいたようだと書いています。


コシダキとは「腰を抱く」、つまり産婦の後ろ側から腰を支えている介添え役のことのようです。



産婦は立っているか起き上がった姿勢でコシダキ役に後ろから抱えてもらって赤ちゃんを産み落とし、トリアゲバアサンが文字通り赤ちゃんを落とさないように取り上げていたということだそうです。


トリアゲバアサンは「数多くの出産に関与し、技術力も高く、体験豊富な先輩」(p.99)として信頼されていた反面、「きれいな仕事ではなかった」というトリアゲバアサンの言葉が引用されています。


 藤田は、トリアゲバアサン時代の出産について「浣腸なんてしなかったから、いきむと、大便はでるし、全体にきれいな仕事じゃないから、よほど気丈で、好きな人でないと、トリアゲバアサンは務まらなかったねえ」と語るトリアゲバアサンの言葉を記録した。(藤田 1988、154) (p.100)


産婦さんが立ったり座ったりした姿勢で、あるいは水中での分娩介助を想像した時に私が一番気になっていた部分です。


児頭が陣痛のたびに少しずつ見えるくらいになると、産婦さんの肛門は哆開(しかい)して直腸粘膜が露出したり、便が押し出されてきたりします。
そのこと自体は、仕事中は汚いとか嫌だという感情は不思議なほどなく平気です。


また児娩出が近くなると胃が引っ張られて突然嘔吐したり、あるいは児娩出とともに血液や羊水がドッと飛び散るように出てくるのがお産です。
産婦さんが立った姿勢では、介助者はそれらを浴びる可能性もあります。


肛門がよく見えない位置で介助すれば赤ちゃんに便が付着したり、処理しきれなくて産婦さんや介助者自身にも付着する可能性があります。
側臥位なら対応できます。
四つん這いの姿勢だと会陰よりも肛門が高い位置になるので、うまく受け止めきれなければ、それこそ重力で赤ちゃんの方向に落下してしまう可能性があることでしょう。


水中分娩やフリースタイル分娩について助産師が書いた物を読んでも、この便による汚染をどのように防ぐかについて書かれていないのが不思議です。
まるで産婦さんは、排泄もしない美しい人であるかのようにしか描かれていません。


新生児と分娩介助者を不必要な細菌汚染から守ることも、看護の基本として大事ではないかと思います。

 西洋医学を身につけた近代産婆はその知識を技術を普及させ、妊婦の衛生面に注意するだけでなく、妊娠時の食い合わせ、腰湯慣行など、トリアゲバアサン時代における出産に関わる俗信の数々を排除していった。トリアゲバアサンの助産は座産と呼ばれる出産方法であったが、近代産婆は仰臥位出産を全国に一律に普及させた。(p.113)


仰臥位のお産は、たしかに医療者にとっては処置もしやすい体勢です。
でも現実には産婦さんの清潔さや快適さにもつながることであり、近代産婆の時代になって取り入れたのではないかと思います。


この本では、近代産婆が批判しやめさせた「夜詰め(よづめ)」と「産椅(さんい)」という風習も書かれています。
次回はそのあたりから「座産」を考えてみようと思います。