代替療法とはなにか 5    <日本の代替療法の変遷>

今回は、日本の近代医学と代替療法がどのように変遷してきたのか、私自身の頭の整理をかねて書いてみようと思います。


<日本の近代医学と病院の変遷>


16世紀末のオランダで、医師教育のために大学内に病院、植物園(薬局に相当)を付設したあたりが、現代の病院の原型になっていることを前回の記事で紹介しました。


日本で近代医学を取り入れて病院が建てられたのは1860年代(明治初期)に入ってからでした。その後、公立・私立の病院が次々と建設されていきますが、当時は貧民救済の医療か、富裕層のための自費診療が主でした。


20世紀初頭に公務員の共済組合による医療費負担制度が始まりましたが、現在の社会保険の原型である健康保険組合を運営する方法は1922年、さらに自営業者など国民全てを対象にする皆保険制度になるには戦後の1961年までまたなければなりませんでした。


その間に、1888(明治21)年に初めて看護教育を受けた看護婦が生まれ、1915(大正4)年には看護婦規則が制定され、看護教育も整えられていきます。
ただ、その頃の看護婦は現在のように病院や診療所で働くのではなく、派出看護婦として自宅に赴いて看護をする仕事であったり、従軍看護婦として働いていました。


日本で病院内の看護が看護職にとって、あるいは国民にとっても当たり前の仕事になったのも、国民皆保険が機になって病院が身近になった時代からともいえるでしょう。


こう考えると、今、私たちが普通に病院のシステムと考えているものができて、たかだか50年ほどに過ぎないわけです。


それ以前は、健康保険がある人や富裕層、あるいは逆に貧困層は受診の機会もあったことでしょうが、それ以外の国民にとっては近代医学以前の「家庭医学」「健康術」そして時には「呪術」や「非宗教・体系的・非近代医学」しか医療の選択はなかったことでしょう。


この半世紀で、診断・治療技術の進歩とともに職種の分化がさらに進み、病院のシステムはさらに大きくなりました。
その変化は私が30年間に看護婦として働き始めた頃を思い返しても、当時の医療がセピア色にかすんでしまいそうなほどです。


こうした急激な医療の進歩は、医療の受け手にすれば「臓器の一部」「疾患の一部」としてしかみてもらえないという不満が出てくるのもわからなくはないものです。


近代医学が進んだ国では、かつての治療者と患者が一対一の関係になる代替療法的なものへの懐古が「補完・代替療法」として見直そうという動きになっているのかもしれません。


<医業類似行為と代替療法


日本の社会全体が近代医学を受け入れるようになったきっかけは、先に書いた国民皆保険制度になったことが大きいと思います。


私自身が健康保険制度のありがたさを実感したのは、1980年代半ばに海外医療協力で東南アジアの某国へ赴任した時でした。


街中いたるところに薬草や民間療法の店があることに最初はエキゾチックな風景と感激していたのですが、それが健康保険のシステムがない国の現実であることに気づくのはもう少しあとになってからでした。


薬草や民間療法の店以上に多く目につくのが薬局でした。カウンターには、日本では処方箋がなければ手に入れられない薬がたくさん並んでいました。


日本の調剤薬局のように、医師の処方箋を持って行き薬を購入するだけではないのです。
処方箋無しでも、その薬を購入できました。
お金ができると、降圧剤やステロイドなどを1錠とか2錠と購入する貧困層の人のためなのでした。
身近な人が医師の処方を受けた時などの薬品名を覚えていて、自己判断で購入できたのです。


病気になると、近所の霊媒師や拝み屋さん、あるいはマッサージ師などのもとへ通っているようでした。


日本の病院や福祉のシステムでは考えられない光景でした。
今思えば、日本もその当時でも皆保険になってわずか20年ちょっとだったのですが・・・。


日本の国民皆保険制度の前に、終戦直後に医療周辺の職業が法的に整備されました。
1947(昭和22)年のあん摩マッサージ師・はり師・きゅう師等に関する法律で、さらに1964(昭和39)年には、あん摩マッサージ師・はり師・きゅう師、柔道整復師等に関する法律に改正されました。


上記のように法的に定められた職とそれ以外の整体、カイロプラティックなどを医業類似行為と言います。
wikipediaから引用します。

医業類似行為
医師の医学的判断および技術をもってするのでなければ、人体に危害を及ぼし又は危害を及ぼす恐れのある行為である。
医行為を、「業、すなわち反復継続する意志を持って行うこと」である医業の周辺行為のことをいう。


代替療法が「見直されている」背景には、戦後、法的に医療とその周辺行為として線引きされ整理されていくことに対して、強固に自分たちの療法の有効性を主張し続けようとする人たちの存在もあるのではないでしょうか。


心身の健康と病気の間には明確な境界線はひけないものですが、それでも代替療法は家庭の医学や健康術のレベルであると、医業類似行為をする側が節度を持てばそれほど代替療法も社会問題にはならないことでしょう。


ところが検証もなく「治療」の領域への有効性を主張すれば、虚偽になります。
あるいは「全人的な関わり方」も間違えれば、「依存」という心の病的な状態を作る可能性もあります。


代替療法を考えるときには、「現代医学にはない何か(altanatelive)」よりも「現代医学の周辺としての何か」としてぐらいに考えておいたほうがよいのかもしれません。


この医業類似行為という視点から、助産師の中に広がった整体について次回から考えてみようと思います。




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