新生児のあれこれ 28  <ヒトが水中で出産すること>

「こんな状況でもなぜ新生児は大丈夫なのか」と思うことに、水中分娩があります。


もちろん「大丈夫だなんてすごい」という感動ではなく、「よく無事でいられた」という安堵感ですが。


出産の現場というのは、イメージ以上に血液や排泄物がつきものであることは、こちらの記事のトリアゲバアサンのインタビューの通りです。

いきむと大便はでるし、全体にきれいな仕事じゃないから、よほど気丈で好きな人でないとトリアゲバアサンは務まらなかったねぇ。


明治から昭和にかけての産婆や助産婦は、物のない時代に綿やゴムシートを準備して、できるだけ分娩介助をきれいに、汚物を飛散させないように工夫してきたことも書いてきました。


それなのに、なぜあえてその汚物が混じる水中に新生児を産み落とさなければいけないのか。
それが、水中分娩に対する私の一番抵抗を感じている部分です。


よく新生児は無事で・・・と思います。


<水中分娩に対する私の考え>


そのような思いで、kikulogの「出産における『自然』と『不自然』」にコメントしました。

#27. ふぃっしゅ  June 21,2009@148


人の長い歴史の中で水中での出産を試み初めてまだ半世紀にも満たないものです。
水中出産は、人類が経験したこともない産み方を実験しているといえるのではないでしょうか?


産科では、母子ともに安全な分娩のために、さまざまな医療処置や医療機器が開発されてきました。
帝王切開と麻酔、鉗子(かんし)分娩や吸引分娩など、どれも絶対に安全な方法はなく、その処置自体にリスクもありますが、母子の命を守るために有益性があるからこそ、適応(その処置を行う理由)が明確にされ、世界中で行われています。


水中出産を「実験」している目的とは何なのでしょうか?


1960年代はさまざまな産痛緩和の方法が試みられ、広がりました。
精神予防無痛分娩、ラマーズ法、硬膜外麻酔や吸入麻酔による無痛分娩の流れのひとつとして、分娩第1期にお湯に入ることで産痛が緩和することを目的にしていたのだと思います。


その中でたまたまお湯の外に出たくなくなった産婦さんが、お湯の中で赤ちゃんを産んだらうまくいったのが始まりといわれています。


「産痛を緩和」することが目的でお湯に入ることと、お湯の中で赤ちゃんを産むことは、同じことのようで出産の意味は全く異なります。
たいがいは、この二つが混同されて「水中出産」とひとくくりにしています。


人の赤ちゃんが過去、体験したようなことのないような生まれ方を、水中出産はすすめています。
本当に赤ちゃんはそれを求めているかは、「精神世界」と同じく実証も反証もできません。事実から、想像するしかないでしょう。
「産道から外の世界に出ることは赤ちゃんにとって大きな変化でストレスでもある。温かいお湯は子宮内と同じような環境で、赤ちゃんによいのでは」というのが水中出産を勧める人たちの、赤ちゃん側の理由のようです。


各国で、新生児死亡や呼吸障害などの報告があるようです。
きくちさんが示されたWikipediaのWater Birthでは、1985年から1999年の間、世界各国で行われた15万例の中では、浴槽の湯を吸い込んだことによる新生児死亡の報告はなかったと記述されていますが、参考文献のアメリカ小児科学会の報告にもあるように、水中出産時に起きたかどうか報告の義務がなければ「肺炎」などの病名に含まれて特定できないからだと思います。


また「15万例」の中にも、分娩第1期には浴槽に入ったが、産むときには外に出た人も「水中出産」として含められている可能性があり、分母の意味が大きく変わってきます。


産痛緩和のために、清潔な浴槽で、母子の安全がモニターされた状態であればメリットは大きいと思います。(リスクもあります)


「新生児のために」水中で出産するというのは「いいか悪いか」以前に本当に必要なことなのか、新生児に負担をかけている実験に過ぎないのではないか、突き詰めて考えることが先決と思います。


水中で人の新生児を産み落とすことに、普遍性が見出せるでしょうか?


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