赤ちゃんのうんちやおしっこといえどもあちらこちらに飛び散らないようにしてまとめて処理をする。
おむつを使うというのは、感染症がわかる以前の時代から排泄物の取扱いに対する智恵だったのではないかと私には思えるのです。
それをなぜ、あえておむつを使わないことを選ぼうとする人が出てきたのでしょうか?
こちらの記事で畝山智香子先生の食品安全情報ブログの記事を紹介しました。
その中のニューヨーク・タイムズの記事に以下のように書かれています。
I think for a lot of parents, the motivation is just to be tune with what their kids' needs are.
多くの親が、その子どもの欲求にあわせてあげたいと考えている。
いつかはおむつをしないで排泄をひとりでできるようになりますが、その練習をいつ始めたらよいのか、排泄がうまくいくようによりよいことをしてあげたい、そのような思いになるのかもしれません。
それは、言葉の通じない乳幼児への関わり方の不安の裏返しとも言えるのではないかと思います。
<ヒトの身体の自律>
自律と自立、その言葉がどのように相互に関係しているのか、考えるとわからなくなる言葉です。
自立(他への従属から離れて独り立ちすること)してから、自律(他からの支配・制約などを受けずに自分自身で立てた規範に従って行動すること)するのでしょうか。
自律の中には「規範」つまりルールが含まれるとすれば、普通は、自立⇒自律の順序のような気もします。
これに対して、人体の自律と自立についてわかりやすい記事がありました。
「三種の『じりつ』−自律・自立・而立ー」
岡田 暁宜氏(愛知教育大学保健管理センター)
本文ではまず心の自律について書かれていますが、先に身体の自律から紹介します。
一方、身体においても自律は存在する。生体調節系の一つに自律神経系がある。これは運動神経や知覚神経とは別に、不随意に身体を調節している神経システムである。このシステムは、心拍数や血圧の調節、瞳孔の散縮瞳、腸管の蠕動などを調節している。この自律性によって、生体は恒常性を維持することが可能となる。システムが生きたものになるのである。よって、これが破綻すると様々な異常をきたすのである。
胎児が母親から独立して新生児になるとともに、こうした身体を維持する自律神経系がまさに「自律」した働きをし始めます。
私たちは自分の意思で心臓の動きを変えたりすることはできないし、あるいは尿や便が作られないようにすることもできません。
循環器、消化器、内分泌、すべての体の部分が巧妙な自律性によって動かされ生きていることを考えるとき、まるで宇宙の果てはどこなのだろうと思う時と同じような気持ちになります。
生まれたばかりの新生児が初めて胎便を排泄するまでのようすをこちらの記事に書きました。
この日のために胎便が備えられていること、生まれると腸が活発に動き始めて何度も何度も吐きそうなほどの腸蠕動に耐えながら初めてのうんちをするその機能が備えられていること。
これこそがまさに、身体の自律だといえるでしょう。
「赤ちゃんは排泄をコントロールできず『垂れ流し』であるからおむつをあてている」
私も以前はそう思っていました。
でも決して「垂れ流し」ではない、もっと巧妙な身体の自律性によって排泄が行われていると今は思うようになりました。
では、ヒトの身体にとって「自立」とはどのようなことでしょうか。
次回、そのあたりを続けていこうと思います。
「新生児のあれこれ」まとめはこちら。