産後のトラブルを考える 18  <排泄のトラブルと子供の成長、そして自責の念>

出産を機に尿失禁や便失禁など排泄のトラブルを抱えた方の日常生活の大変さには想像ができても、新生児から乳児、そして幼児へと成長していくお子さんを見てどのような思いがあるのかまでは、私は正直なところ考えないままでした。


あおばさんとさとえさんから頂いたコメントには、また頭を殴られるような思いでした。


今回はその部分をご紹介します。


最初は2014年8月8日にいただいた、あおばさんのさとえさんあての返信です。

さとえさんの以前のお話にあったこと、
>小さな娘と過ごす大切な時間を通院のためにたくさん失い、通院ばかりの自分を責め続けました。


このお気持ち、私も全く同じです。産後排泄機能の回復がおかしいと気づいてから、不安で不安で授乳をしながら、ネットで会陰裂傷のことを調べまくりました。自分に残ってしまった障害にとらわれて、指導にあった『子供の目をしっかり見て』授乳することもおそろかでしたし、産前に幸せな気持ちで用意した育児日記も記録する心の余裕はなくて真白なまま。排泄の失敗で、子供を泣かせたままその処理をしている時のやるせなさは誰にも言えず、自分を責めてばかりの落胆の日々。

さとえさんのこのコメントは、「母親失格だと思います」と書かれているこちらのものです。

子供との外出も夫がいないとできず、漏れるのが怖いので私は頻繁にトイレばかり行っていました。抱っこもベビーカーも常に夫の役目でした。本当ならできたはずのことが、自分が原因で出来ないっていうのは、悲しいですよね。
段々そういうことに慣れてきたつい最近、家族で外出して、三歳の子供と私だけ先に帰る道に突然の便意(私は便意が弱いです)。急いで歩いても3歳の足取りです。抱っこも出来ない。ひたすら歩くしかなく「※※ちゃん、急いで。頑張って」と声をかけても、間に合わず漏らしてしまいました。私の顔色に気づいて不安になったのか、子供が抱っこをせがんでも「お母さん、お腹が痛いからできないの。ごめんね」と謝りながら、漏らしながら、泣きべその子供の手をつないで焦って帰りました。

子供はもうトイレが一人で出来るようになりました。私は失敗ばかり。でもその時は心底がっくりきますよね。私はそういう自分を自分としてほぼ受け入れられるようになってきた気がします。

こういう状況を受け入れられ始めたことに関しては、また後日、紹介させていただこうと思います。


<成人の排泄の自律が損なわれるということ>



生まれたばかりの新生児でさえ決してうんちやおしっこを垂れ流しているわけではなく排泄が自律していること、そして周囲の大人の手助けによって時間をかけてトイレの練習をして自立していきます。


一旦獲得した排泄の自立は、しばらくは「当然の機能」として意識もされずに過ごしているのだと思います。
成人でもきっと粗相をしたことは誰しもあるのではないかと思いますが、それは思い出すのもショックで恥ずかしいこととして心の奥底に封印されることでしょう。


ところで、私がベトナムからのボートピープルを知った時に、漁船に100人200人と座るのがやっとという状況で詰め込まれた人たちは排泄をどうしたのだろうということが、まず先に恐怖感のようなものとして感じたことを覚えています。


極限の状態で、水や食料の確保と安全に上陸することが最優先なのは理解できるのですが、20代の私にとってそのような状況で排泄をどうしたのか気になったのは、「羞恥心」が意識されたからだと思います。


尿は容器にとって水の代わりに飲んだ話はよく聞きました。
でも排便はどうしたのかは、事実を直視するのが怖くて質問できませんでした。
不十分な食糧のために排便もなかった人も多かったかもしれません。
でも、不衛生な状況でお腹を壊し、狭い船内で身動きとれない状況あるいは体力が落ちて垂れ流しの状況になった人も多かったのではないかと思います。


それほど、ある日突然、成人の自立した排泄が阻害される状況というのは、恐怖に近い感情が起こるのです。


病院勤務の中で高齢者や死期にある方々のおむつ交換もしていましたし、助産師になってからの産婦人科病棟勤務でも、子宮や卵巣の疾患で人工肛門が必要になる方々のケアもしました。


そういう状況を私自身は受け止めきれているわけではないのですが、少なくとも生まれたからにはいつかは機能が落ちて「老・病・死」という段階を誰もが通るのだからという諦観があるのか、恐怖までの感情ではなく、また気持ちに折り合う時間が備えられているのかもしれません。


<産後に排泄の機能が失われるということ>


産後に排泄の機能が損なわれるということは、トイレに行って排泄をして水洗で処理して終わりだった当たり前の日常が突然、手がかかり心身への負担の大きい状況になります。
予想もしていなかった状況を受け止めるだけでも、加齢や病によって排泄機能が失われることとは違うものがあることでしょう。


また自分自身の排泄機能に合わせて生活を立て直していくだけでなく、赤ちゃんの排泄の自立に向けてのケアも同時に親としてしなければなりません。


そしてその子供のほうが排泄の自立を獲得していくことを見届ける。


どんなに不甲斐ない思いなのでしょうか。


でもこのお二人のように、その不甲斐なさだけでなく、子供に対しての申し訳なさをも強く感じられてしまうのかと考えさせられたコメントでした。





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