災害時の分娩施設での対応を考える 20 <現実的対応とデマの阻止>

前回の記事で私が教訓として得たものの3つのうち、「現実的な対応とは何か」と「デマを阻止する」は深くつながりあっていると思いますので、今回はこの2つを合わせて考えてみようと思います。


<現実的な対応とは何か考える>


こちらの記事で、「災害時の栄養管理」を紹介しました。


この中では災害時の局面をフェーズゼロからフェーズ3までに分けていましたが、「災害看護」(南江堂、2012年)の中では以下のように6つに分けています。

フェーズ0:超急性期ー搬出・救助期(災害発生直後〜数時間)
災害現場周辺の人的資源による救援

フェーズ1:超急性期ー早期(〜72時間)
医療機関の傷病者受け入れ、被災地外からの救援到着

フェーズ2:急性期(〜7日間)
災害の全貌の把握、災害医療支援計画の立案

まずこの3つの時期については、日常的な医療でいえば、急変時や救命救急の対応に相当するのではないかと思います。



目の前の人が突然意識を失って倒れる、あるいは分娩中に大量の出血によりショック状態になるなどです。


その際の「現実的な対応」とは何でしょうか?
気道確保・血管確保、あるいは蘇生術など、適切な救命救急処置が何よりも優先されます。


あらかじめ本人が蘇生処置拒否の意思表示がある場合を除いては、相手の「思い」や「大事にしているもの」、相手の社会的立場や貧富の差などを含めた「生き様」も無関係です。


生命が維持されることだけが最大の目標といえます。


災害の規模にもよりますが、水と食糧を確保し、すぐに医療処置が必要な人を医療につなげて安全を確保しながらひとりでも多くの生命を守る、それがフェーズ0から2の時期だといえるでしょう。


このあとに、「フェーズ3:亜急性期(〜1ヶ月)」「フェーズ4:慢性期ー復旧復興期(〜3年)」「フェーズ5:静穏期ー準備期(3年〜)が続きます。
生命の危機を脱して生きる見通しが立ったところで、その人の個別性に合わせた生活の再構築やリハビリテーションが始まります。



今、災害のどの時点にいるのか、その時点で必要な「現実的な対応」とは何か、局面に合わせていなければ意味がないばかりが害にもなり得ます。


救命救急でいえば蘇生や全身の集中管理をしている最中には、その患者さんの価値観や好みは脇に置いておく必要があります。


災害直後の混乱時に生命を守ることを最優先にするならば、「フリースタイル分娩(分娩台への批判)」「院内助産助産師主導の分娩介助)」あるいは「母乳育児推進(母乳>ミルク)」ということを、災害直後の対応に組み込むことは意味があるのでしょうか。



災害直後に最も大事な「現実的な対応」とは、むしろこうしたプロパガンダを排除することといえるかもしれません。


回復期に入ったら個別性に合わせた対応をすればよいと思います。


そういう意味で、日本看護協会から出された「分娩施設における災害発生時の対応マニュアル作成ガイド」は少し残念だったと思います。


ただ、2009年に「災害看護」が始まったばかりなので、今後に期待したいところです。


デマを阻止する>



災害時の医療従事者の心構えのようなものとして、日ごろの自分自身の信念や価値観は一旦、脇に置くということが大事ではないかと思います。


自分が体験したこともないような災害に直面した時には、なおさら慎重に情報を受け止めることが大事だと思います。


医療従事者として災害時(あるいは感染症拡大時)の健康に関する情報をどれだけ正確に把握できるかによって、自分自身がデマ拡大をしてしまう危険性があることを認識する必要があります。


どのような情報がデマになりやすいか。


東日本大震災以来のデマを見て、やはり災害をプロパガンダの機会としている情報には注意が必要だとつくづく思いました。


プロパガンダとは、たとえば以下のようなものです。
人工的なものや化学物質が含まれているよりは自然あるいは天然なものがよい。
農薬を使ったものではなく無農薬がよい。
医療よりは代替療法がよい。
医療介入のあるお産より自然なお産がよい。
現代よりは昔の方がよい。
ミルクよりは母乳がよい。


深く考えていけば、上記のようなことも「そういう点もあるけれど、そうでない点もある」わけです。
単純な話ではありませんね。
でも一言で言い切ってくれるもの、白黒つけるものに人は安心感をもちやすいということはニセ科学の議論で何度も言われていました。


こちらの記事菊池誠氏の「科学と科学のようなもの」を一部紹介しました。再掲します。

5.明日はどこへ
擬似科学似非科学っていうのは不勉強と思い込みの産物だ。単なる好き・嫌いと科学的な手続きがまったくつけられていない。一見科学的なように見える本でも逐一検討してみれは、結局は好き嫌いのレベルでの思い込みだけで書かれていることがわかる。

その思い込みを支えるのが、科学についての不勉強・認識不足だ。

医療従事者が自分自身の不勉強ゆえに、思い込みで情報を人に伝える。


それがとりわけ健康に関するものであれば、責任は非常に重いものになります。


これは災害時にすぐにできることではなく、自分の信念や価値観の押し付けではない医療を日ごろから心がけていないとできないことでしょう。




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