境界線のあれこれ 13 <sophisticated・・・「洗練」と「こだわり」>

20代の初めに犬養道子氏の本に出会って、大きな影響を受けてきたことは今までのいつくかの記事に書きました。


同じ頃、もうひとり好きだったエッセイストがいます。
伊丹十三氏です。
書店で本棚を眺めるのが好きだったので、いつも棚を端から端まで見てまわっていた時に、「女たちよ!」が目に入ってふと手に取ったのが始まりでした。


特に、1965年に書かれた「ヨーロッパ退屈日記」は、すでに書かれて十数年たった1980年代でもとても新鮮で、なにか「洗練された」雰囲気が漂った本でした。


細かい内容はほとんど忘れてしまったのですが、「35.おつまみ(アーティショーその他)」に伊丹氏自身が描いたアーティショーの挿絵が思い浮かびます。
今では珍しくないアーティショーですが、当時は紀伊国屋とか高級スーパーでしか売られていませんでした。


あと、「37.スパゲッティの正しい食べ方」やサラダとドレッシングのこだわりとか、料理だけでなく生活全般に「男子厨房に入るべからず」の世代から新しい時代に入ったことを感じさせるものでした。
まだまだ「一般男子」はそこまで意識が変わっていなかった時代なので、なおさら洗練されたものに見えたものでした。


2ヶ月ぐらい前でしたが、NHK伊丹十三氏の特集が2回にわたって放送されました。


湯河原の海が見える高台に家を建て住んだこと。
そこにもいろいろな生活へのこだわりが感じられました。


しだいに玄米菜食に傾倒していったようです。
長男の首に、「この子におやつを与えないでください。砂糖を食べさせていません」というようなプラカードを下げさせて通学させていた場面が回想されていました。


あ、と思いました。
おそらくマクロビオティックの影響を受けていたのでしょう。


伊丹十三氏というと、sophisticatedという言葉が常に私の中では浮かんでいました。
でも「洗練された」という意味以外に、「あまりに形にこだわりすぎていてお高くとまった感じ」という皮肉をこめた意味もあったのですね。


「洗練された」と「こだわり」、一歩間違うと危険というような何かがありそうです。


あ、でも今も伊丹十三氏の雰囲気は好きですね。
いくつか私の思考に強い影響を与えた人の一人だと思っています。




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