散歩をする   98 <犬養木堂記念館>

岡山平野には干拓の用水路だけでなく、大小さまざまな川が蛇行しながら、時に混じり合いながら海へと流れています。
倉敷へ行く計画をたてている時に、そうした地図の青い線をあちこち拡大しては風景を想像していました。


倉敷と岡山の中間ぐらいに、やはり川が何本も複雑に合流して最後には児島湾へと流れ込む足守川があります。
その川の流れ方が、干拓地のまっすぐな用水路の青い線とは対照的だったので気になって見ていたら、「犬養木堂記念館」があることに気づきました。
あの犬養道子氏のおじいさまで、犬養毅元首相の生家が記念館になっているようです。


1932年(昭和7年)、5.15事件で暗殺された首相ということが社会的には知られている方ですが、私にとっては犬養道子氏の本の中でのさまざまなエピソードから犬養道子氏のおじいさんというイメージが強くありました。
なんと、その犬養木堂が岡山の出身であり、私の祖父の家からもそう遠くないところに生まれ育ったことを初めて知りました。
そしてその記念館のホームページをみると、ちょうど「道チャンとおじいちゃま」という企画展が開催中でした。
なんという偶然の積み重ねだろうと、これは行くしかないと倉敷行きの直前になって決めたのでした。


企画展は、「犬養道子氏追悼展示」になっていました。
昨年、96歳で亡くなられたそうです。


<水の流れに囲まれた地、庭瀬>


記念館は山陽本線庭瀬駅から歩いたところにあります。
旅の初日、岡山駅から倉敷へ向かう列車の車窓から庭瀬の風景が見えました。
あちこちに水路が張り巡らされて、水に囲まれた中に家がある水の都といった趣でした。
遠くに大きな木がたくさん茂っているところが見えました。おそらく、あのあたりに犬養木堂氏の生家があると見当がつきました。


翌日、 高梁川上流から吉備線でぐるりと岡山平野の山側を見たあと、庭瀬へ向かいました。


駅からは、古い町並みが残された散歩コースを通って記念館へ行けるようになっています。
途中には大きな池のような場所があって、「港」が名前につけられています。
江戸時代、まだこの辺りが海に近いころたくさんの水路があって活発に物や人が行き来していた場所のようでした。


前日に見当をつけていた通り、大きな木が茂っている場所に生家と記念館がありました。
倉敷と同じく白壁と灰色の瓦で落ち着いた建物で、生家と記念館の間には用水路があって清らかな水が流れていました。
「手や足を洗い、口をそそぎ、俗塵に汚れた心を清める、清々と豊かな水の湧き出る泉のある庭」という意味で、あの滄浪泉園の名前をつけたのは、犬養木堂氏のこの生家周辺の風景と重なりあっていたのかもしれないと思いました。


展示の中には、銃弾に倒れた時に座っていた座布団がありました。
犬養毅元首相といえば、「話せばわかる」という一言が有名です。
1970年代なかば、高校生だった私も聞いたことがあります。今考えると、私が高校生だった時は5.15事件からまだ40年ほどしか経っていない時期だったのですね。
当時、現代史の中でも1930年代ごろの歴史は、さらっとしか学んでいなかったのですが、「歴史」として書き残すにはまだ十分な検証がされていない時期だったのかもしれません。



銃弾に倒れた直後、犬養元首相は「話せばわかる」と言ったのではなく、「あの青年たちをここに連れてきなさい」というようなことを介抱したお手伝いさんに言ったことが展示のなかで書かれていました。
撃たれてもなお、青年将校と話し合おうとしたその状況を、「話せばわかる」という意訳のような言葉になって後世に伝えられているのかもしれません。


高校生の頃、あの5.15事件はなんだかとても昔の話のように感じていたのですが、こうして半世紀以上生きてみると、40年前なんてほんの最近の話ではないかという感覚になってきました。
一世紀というのは不思議な長さだと、静かに水が流れる道を通って駅に向かいました。




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