哺乳瓶のあれこれ 3 <人工乳首の形状の変化>

哺乳瓶そのものの形も変化してきてはいますが、何よりも人工乳首の形はさまざまなものが開発されてきました。


赤ちゃんの口や舌の動きを観察して、「舌で巻き込める」ような形と長さが試行錯誤されてきたのでしょう。


赤ちゃんの哺乳を「おっぱいを吸う」「おっぱいを飲む」などと表現しますが、大人の「吸う」や「飲む」とは全く異なるものです。
「吸う」というと、ストローを使って「吸い込む」ようなものをイメージすると思いますが、赤ちゃんの場合には「舌で巻き込んで、液状のものをそのまま食道から胃へ送り込む」という感じです。


こちらの記事で紹介した1870年代頃の「軍用の丸い水筒のようは扁平なガラス容器に細いゴム管が取り付けられ、その先端にゴム製の乳首がついている」哺乳瓶と人工乳首ですが、是非、写真か図を見てみたいと思うほど、どうやって赤ちゃんは飲んでいたのだろうと疑問だらけのつくりです。


もしかしたら、最初はビンにストロー状のものをつければ「吸う」ことができると考えたのかもしれません。


ところが赤ちゃんはまだまだストロー状のもので容器の中の液体を「吸い上げる」ことはできません。


次に考えたのは、そのストロー状のものをくわえさせたあと、容器自体を赤ちゃんの口よりも上に持ち上げて容器内の液体を重力を利用して口腔内に「流し込む」方法だったのかもしれません。
新生児でも、こうしたストロー状のものにうまく舌を巻きつけますから、一見、うまくいきそうです。


ところが「流し込む」方法は赤ちゃんの哺乳のペースと違いますから、赤ちゃんには不評だったことでしょう。



そのために、容器を口よりも高い状態にしてもミルクが口に入り過ぎないように、先端に小さな穴をあけた別の「乳首」をつけてみた・・・というところかもしれません。
これなら、赤ちゃんがただ「飲む」だけでなく、くちゅくちゅと待っている時にも出過ぎないので、赤ちゃんにも受け入れてもらえた可能性があります。


ところが洗浄しにくい形のため、「感染」という思わぬ伏兵がいました。



「細菌というものが病気をおこす」とわかった当時の社会は、どんな驚きだったことでしょうか。



なんだか「プロジェクトX」のテーマソングが聞こえてきそうです。



<日本国内の「人工乳首」の変化>


さて私には30年前の看護学生の頃からの記憶しかないのですが、日本国内でもさまざまな人工乳首が開発されてきました。


国内の哺乳瓶・人工乳首のメーカーとしてはおそらく一番古い、ピジョン株式会社のHPに「哺乳びんの歴史」が掲載されています。


最初の方に、「哺乳瓶」というと誰もが思い浮かべるような形のびんと人工乳首の写真が載っています。
1949(昭和24)年に発売されたもののようです。

それまでの、びんに乳首をかぶせる直付式と比べ、衛生面で特にすぐれていました。

それ以前の「びんに乳首をかぶせる直付式」はおそらく、小野市の好古館のHPで紹介されている哺乳瓶に近いものではないかと推測しています。


「びんに乳首をかぶせる」タイプは現在でも病院で使用されていますから、この1949年の画期的な変化は「哺乳瓶が広口になった」ことだったのかもしれません。たしかに洗いやすくなり、乾燥させやすくなったことでしょう。


さて、その後はそれほど哺乳瓶と人工乳首のデザインは変化していなかったようです。


ピジョンの「哺乳びんの歴史」の1988(昭和63)年には次のように書かれています。

赤ちゃん特有の哺乳運動のメカニズム「蠕動様(ぜんどうよう)運動」を解明。赤ちゃんには大人には真似のできない独特の舌の動きでおっぱい、ミルクを飲んでいることを証明しました。

そして1991年に「母乳育児トレーニングのための『母乳相談室』哺乳びん・乳首を発売」とあります。


たしかに1990年頃から、いろいろな形態の人工乳首が各社から発売されていきました。



そして、もうひとつ材質にも大きな変化がありました。



1960年に以下のように書かれています。

シリコーンゴム製の乳首『A-D』を開発、発売。
天然ゴムに比べ、老化しにくいイソプロレンゴム製の乳首を開発。

私が勤務した病院では、2000年代初め頃まではまだ天然ゴム製の直付型の人工乳首とシリコン製のものが半々といった印象でしたが、最近は天然ゴム製は使わなくなりました。


次回は、1990年頃からの人工乳首の変化についてもう少し具体的に見ていこうと思います。