哺乳瓶のあれこれ 4 <1980年代、「ヌーク上陸」>

前回は日本で1949(昭和23)年に製造されて以降、比較的スタンダードだった形の乳首についてまで紹介しました。
今回からしばらくは、1980年から90年代以降、国内外で発売されたさまざまな形の哺乳瓶や人工乳首について、その特徴や宣伝された「効果」などを紹介してみようと思います。


あ、その前に、1870年頃に作られた「細いゴム管」がつけれられたものに近いのではないかと思うものを見つけました。
「哺乳指導に対する看護師の変化」(大阪大学歯学部、PDF注意)というスライド資料の24枚目、「細口ニップルの使用法」に写真があります。
乳児の口腔外科関連手術の術後に使用しているようです。
きっと140年前の哺乳瓶と人工乳首はこんな感じだったのかもしれません。


さて、今回はまず初めにヌークの乳首についてです。
ただ私の記憶をもとにしているので、時期についてはあいまいな点があると思います。


<ヌーク>


ヌーク社の人工乳首を初めて見たのは、1990年代初頭でした。
それまでの誰もが思い浮かべる人工乳首の原型とは全く違うつくりでした。


上記サイトの「ブランドの歴史」を見ると、すでに1949年には「新しいタイプのニップル開発」が始っていて、しかも「NUKのニップルが業界で初の医療的見地による商品」と書かれています。


ヌークの取扱説明書には以下のように書かれています。

この独特な形状が母乳に近い機能を持ち、赤ちゃんの健全な口腔の発育を促がします

1990年代初頭に、病産院でもいっきに広まった印象があります。
「顎の発達によい」という評価だったと記憶しています。
通常の人工乳首に比べても2〜3割、高かったと思いますが、当時勤務していた施設では哺乳力が弱い赤ちゃん以外は全てヌークに切りかえられました。


このヌーク社の人工乳首はいつ頃、日本に入ってきたのでしょうか?
こちらには「1980’s 日本上陸」と書かれています。
ヌークが開発されてから30年ぐらいの年月が過ぎています。


これはおそらく、1985年のプラザ合意によって輸入品が身近に買える時代になったことが背景にあるのではないかと思います。
それまで1ドル250円台だったものが120円になりました。



ちなみに私が1984年にインドシナ難民キャンプで働き始めた時、生活費として1ヶ月300ドル支給される契約でした。
ところが、このプラザ合意の「お陰で」私の生活費は帰国する頃には日本円にすると半額の値打ちになっていたのでした(泣)。
私にとっては恨みのプラザ合意ですが、1985年を境に日本にも海外製品が広がる時代になったといえるでしょう。


2000年代に入るまでは、私が勤務した病院ではヌークが最も使われていました。
おそらく、看護系の学会などで紹介されて広まったのではないかと推測しています。このあたりはもう少し、背景を調べたいと思いますが。


2000年代になると、再びピジョン社の人工乳首が病産院などで広まります。
次回はその製品について紹介します。