10年ひとむかし 43 言葉の半世紀

昨日紹介した犬養道子さんの「お嬢さん放浪記」で、もう一つ「こんな言葉に出会っていたのか」と読み返した場所がありました。

 

1940年代終わりの頃、犬養さんがロサンゼルスから東部に住む友人を訪ねようと列車に乗ったのですが、大統領演説のために大勢の人がシカゴに詰めかけた日に重なり、乗り換えの列車を逃してシカゴに一泊せざるを得なくなった時の話です。列車での移動は物を取られて危険だと、あらかじめ現金は友人宅へ送ってしまっていたので、手持ちのお金は1ドル50セントしかありませんでした。

泊まるところを見つけようと歩いているうちに、カトリック教会の運営する福祉事務所を見つけ神父さんに出会います。

 

神父は犬養さんの状況を察して、「皿洗いを手伝ってくれるのであれば」と宿泊先へと案内しました。

神父の後について私がやって来た所は、全く驚いたことに貧民街であった。シカゴの貧民街といえば世界でも指折りのところである。両側にたちならぶ家だけは石づくりのビルに違いなかったが、その間に挟まれた道路の不潔さは何とも我慢がならないひどさである。くさりかかったバナナの皮、犬の糞、新聞紙のきれはし、野菜のしっぽ... ビルの入り口に腰をおろして、だるそうな眼つきで私たちを見送る男女も、ぼろぼろの洗濯物を干した窓から珍しそうにのぞく婆さんたちも、遊んでいる裸ん坊の子供達も、みな黒人で、白いのや黄色いのは一人もあたりには見えない。

今夜ここに泊まるのかという犬養さんの問いに、神父は「いけませんか」と以下のように話したのでした。

 おききなさい。留学生はとかくアメリカの表面ばかりを見る。しかし、こういうスラムに、案外アメリカのほんとうの姿があるものなんですよ。なるほど、シカゴの黒人スラムは犯罪の巣にはちがいない。しかし善い人だっていっぱいここには住んでいますよ。

 そして、神父は「シカゴ黒人専用養老院」へ犬養さんを案内し、マーガレットさんという高齢女性の部屋に犬養さんは泊まることになりました。

 

 

マーガレットさんとうちとけた頃、「あなたは皮膚の色で差別待遇をされたことがありますか」と質問されまました。

「いいえ」と答えた犬養さんに、マーガレットさんは話します。「なぜ皮膚の色だけ人は見るのでしょうね。なぜ血の色を見ないのでしょうね。誰の血でも、血は同じに紅いのに」

 

その後、その施設のシスターにシカゴの街を案内してもらった犬養さんは、「あの人、ピンキイ?」と街の人から言われます。

ピンキイについて、この本ではこう説明されていました。

ピンキイというのは、黒人と白人の混血であるが、皮膚の色はピンクを帯びた黄ばんだピンキイもいるのである。ピンキイの中には、この外観の白さを利用して、黒人が受ける社会的な差別待遇を逃れようとする者がある。血統をかくして白人と結婚しようとする娘や、黒人御法度の大学に入学しようとする青年など、けれどもたいていの場合は、ピンキイであることがバレてしまう。白人の側からはサギといわれ、黒人仲間からは黒人の血を恥じる裏切り者と指さされる、ピンキイの悲劇には深刻なものがある。 

 

犬養さんがこうとらえた時代から30年ほどあとの1980年ごろに、私もアメリカを旅行しました。1950年代からの公民権運動という激動の時代のあとでしたが、まだたしか州によってはトイレなども黒人専用があったのではないかと記憶しています。

そして、私が旅行した頃は、アジア系への差別や排日感情が強くなり始めていました。街を歩いていて、私も「Jap」と初めて面と向かって言われたのがこの頃でした。

 

幸いなことに、高校生の頃からステイーヴィ・ワンダーの歌が好きだったので、私自身は肌の色で何か言われてもさらりと気持ちをかわせることができていたのかもしれません。

 

*不快・差別用語を認識し始めた時代*

 

さて、今日の本題です。

犬養道子さんのこの本の中に、今では編集の段階で別の言葉に差し替えられるだろうと思われる箇所がけっこうあったことに、ここ40年ほどの言葉の変化を感じたのでした。

マーガレットさんのことも「彼女は不具であった」と書いていますし、街でであった少年をせむしと表現していました。

 

1970年代から1980年代にかけて、私が子どもの頃には疑問も持たずに使っていた差別用語が問題として話題にのぼることが多くなった時代でした。

犬養道子さんもその時代の変化を感じつつ、この表現をあえて使われたのでしょうか。

 

ところで、私はブログの中で時々「インドシナ難民」という表現をしています。

支那が持つニュアンスは80年代から認識していたので、インドチャイナと言い換えたほうがよいのだろうかと悩むところはあるのですが、公的な文書ではインドシナが一般的でした。「インドシナが差別的文脈で使われることは皆無」というとらえかたもあるようです。

 

ひとつの言葉にも複雑な背景があり、時間をかけて変化していることを、40年前に読んだ本を読み返して感じたのでした。

 

 

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