記憶についてのあれこれ 19  <アイルランド>

1970年代から80年代初め、アイルランドという国名を日本でもよく耳にしました。
それは、まだ北アイルランド問題を抱えた紛争国でした。


同じ国が北と南に分かれて戦いあい、テロが毎日のように起こる国として私の中に記憶されたのでした。


1980年代半ばから、東南アジアのある国で働き始めて90年代まで行き来するようになりましたが、その時に出会った人たちの多くが、偶然かもしれませんがアイルランド系でした。


アイルランド系移民の友人たち>


1980年代半ば、私が働いていた難民キャンプにアメリカの大学生がインターンとして、半年間の任期で私の勤務先であった国連関係の機関に派遣されていました。
私が働いた2年間で出会った4人の大学生のうち、3人がアイルランド系のアメリカ人でした。


3人とも気さくでしたし、同じ職場の私とも年齢が近かったのでルームシェアーをしたり、休暇で遊びに行ったりする仲になりました。


私にだけでなく、インドシナ難民の人たちともすぐに打ち解けていました。


経済的に豊かな国の白人の立場のボランタリテイーなのだろうと、最初は思っていました。


そのうちに何の話題からだったのか、「アイルランド系移民はアメリカでは差別されてきた」という話がでました。また、もう一人のインターンポルトガル系のアメリカ人だったのですが、「ポルトガル系もだよね」と聞かされました。
私からみたら金髪、青い目の典型的な白人なのに、アメリカには白人の間にも幾層にも差別があることを初めて知ったのでした。


アイルランド系移民の歴史>



wikipediaアイルランド共和国の「イギリスとの関係」に、アメリカへの移住へのきっかけとなったジャガイモ飢饉と当時のアイルランドの状況が書かれています。

(前略)イギリスが最初に支配した植民地となった。プロテスタントによるカトリック教徒への迫害があり、また植民地政策で工業化は遅れた。土地政策はイングランドアイルランド支配にとって重要でしばしば深刻な影響を与えた。
経済基盤は弱く大規模地主による小作農を使役した商品作物栽培という典型的な植民地型農業であり、アイルランド人の2/3は農業に従事していた。

ジャガイモ飢饉では多数の餓死者が出て、アメリカの移住が始まります。
上記「アメリカ合衆国との関係」では、つぎのように書かれています。

19世紀後半、イギリス植民地支配に苦しんだアイルランド人は、同じ英語圏の国へ移民を行わざるを得なかった。
(中略)
しかし、開拓当時のアメリカ人からは、アイルランド移民の貧しい生活や異様ととられる風習、イギリスで被征服民として低く見られていた事、カトリック教徒であった事などにより、忌避感を持たれる。アイルランド人は人種的に見て「白人」に含まれるが、「アメリカ市民」に相応しくないとされて、以降、偏見の目と差別に苦しめられた。

難民キャンプではアメリカやヨーロッパなどからたくさんの「白人」が働いていましたが、一見フレンドリーであるけれど少し威圧感のような印象を感じる事がしばしばありました。
でも、アイルランド系の人たちとは打ち解けるのには時間がかからなかったのは、偶然だけではないのかもしれないと思えるのです。


コロンバン神父会>


1990年代に入った頃、再び東南アジアに住みました。森林伐採を初め、日本の消費社会や経済が東南アジアの貧困に関係していることや先住民の土地が収奪されていくことなど、「日本人として知るべきだ」と現地の友人に言われたことが背中を押しました。


長く続いた軍事独裁政権が終わって数年たった頃でしたが、地方では経済開発がそこに住む人たちの生活も存在も無視するかのように強行されていました。
反対運動をすれば、軍隊や私兵によって殺されることは日常茶飯事でした。


そういう地域にあえて住む神父たちがいました。
それがコロンバン神父会でした。こちらに書いたように、住民とともに殺害された神父もいました。


コロンバン会日本管区の「聖書講座」につぎのように書かれています。

コロンバン会というアイルランド出身の小さな宣教会の者です。聖コロンバン会の多くの司祭は貧しい(貧しくさせられた)国々(パキスタン、ペルーなど)で働いているので、その人々の貧困、苦しみ、期待を毎日見ています。また、この貧困は豊かな国々が作ったものだとわかっています。豊かな国々の政治的な、また経済的な政策が貧困を作っています。

私の中にもうひとつアイルランドへの思いが形作られました。


そしてそこで出会った神父さんたちおひとりおひとりの事を思い出すたびに、本当に正義の人たちだったと思うのです。
正義感ではなく。


<Nightnoiseの世界>


難民キャンプでそのアイルランド系の友人が聴いていた音楽に魅せられました。

「Nightnoise」
ビリー・オスケイ&ミホール・オ・ドナール

アイルランド系の音楽というとエンヤが日本では有名ですが、その前に1984年に結成されたNightnoiseです。


あの頃に出会った友人たち、コロンバン神父会の神父さん、そしてこのNightnoiseの音楽が私の人生の何か伏線のように、時々私の心を大きく動かすのです。
アイルランドという国の名前とともに。





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