水のあれこれ 17 <「若く、まだ自分が何者かわからない」>

昨日の毎日新聞記事に、先日のジャパンオープンに出場したアメリカのアンソニー・アービン選手の記事がありました。


海外の競泳選手の名前は覚えきらないのですが、グランド・ハケット選手スクーマン選手のような達人級の選手だと記憶していました。

競泳 シドニー金・アービン 墜落の日々さらば 水の楽しさ感じ復活


 2000年シドニー五輪競泳男子50メートル自由形金メダルのアンソニー・アービン(34)=米国=が、来年のリオデジャネイロ五輪出場を目指して復活してきた。若くして栄光をつかんだ後に、無軌道な生活で美を持ち崩したが、泳ぐことの楽しさを感じて結果を出せるようになった。7月にロシアで開幕する世界選手権に出場予定で、「五輪前に自分のレベルがどこにあるか知りたい」と意気込む。
 先月、東京・辰巳国際水泳場であった国際大会、ジャパンオープン50m自由形で3位に入った。「評価していい」とアービン。目は輝きを増してきた。
 19歳でシドニー五輪を制し、翌年は福岡での世界選手権に50メートル、100mの自由形で2冠。黒人の父と白人の母の間に生まれ、米国初の黒人系の五輪競泳代表として、大いにはやされた。だから当の本人は「若く、まだ自分が何者かわからないのに、黒人の象徴の役割を求められるイメージを押しつけられ、逃げたかった」。03年から練習へ通わなくなり、04年に引退した。
 その後は酒、ドラッグに溺れ、自殺未遂もした。金銭的にも苦しかった。そんな時、知人からスイミングクラブのコーチに誘われ、子どもに教えながら「水に入るのは最高に楽しい」と実感できた。
 11年、母校が全米の大学の大会で優勝。後輩の奮闘に触発され、「レースに戻るのは怖かったが、やりたくなった」と現役復帰を決意。「昔は練習をよくサボったが、一日で一番楽しいのが練習の時間になった」と言い、復帰直後の12年ではロンドン五輪50メートル自由形で5位入賞。「地に落ちても必ず立ち上がれる」と胸を張る。
 五輪の金メダルは手元にない。04年暮れのスマトラ沖大地震援助のため、オークションにかけて全額寄付したからだ。「ネガティブ(消極的)な気持ちの時に取ったメダル。(売却は)人生をやり直す大事な議しい」。生まれ変わった手で再び五輪のメダルをつかみとる。


先日のジャパンオープンでのアービン選手の明るい表情はなぜか印象に残っているのですが、こういう経緯があったのですね。


私は2001年の福岡世界水泳から競泳を観るようになったのですが、当時、なぜ黒人の競泳選手がいないのだろうと気になっていました。
クーマン選手の南アフリカもそうですし、ジンバブエなどアフリカの中で競泳の強い国さえも選手は白人ばかりでした。



なるほど、アメリカでもこのアービン選手が初の黒人競泳選手の象徴のようにされたのが、わずか十数年前なのですね。


ただでさえ毎年結果を出してトップスイマーの位置にいつづけることさえも重圧なのに、「初の黒人競泳選手」がいつでもついてくることの重さはどれほどだったのでしょうか。


「若く、まだ自分が何者なのかわからない」


こちらの記事で書いたように、競泳というのはプロともアマチュアともつかないあいまいな競技です。
20歳前後の「まだ自分が何者なのかわからない」頃に、競技の結果だけで持ち上げられては突き落とされる経験が、イアン・ソープ選手をはじめ、どれだけ多くの選手の心をくじいているのだろうと心配になります。


競泳観戦に関心を持って十年以上になりましたが、毎年、伸び盛りの中学生や高校生スイマーを注目選手として競泳会場やスポーツ番組で取り上げていることが気になっています。
どれだけの選手がそのあと、関心も持たれずに去っていったのかと。
まだ「自分が何者かわからない」年代には、あまりにも酷なことではないかと思います。


アービン選手のこの記事は、たしかに「過去の栄光から新たな存在」になった成功話なのかもしれませんが、むしろ、そういう方向へ選手を向かわせてしまったのは何か、そこから失敗を学ぶ必要があるのかもしれません。






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