何のために書くのだろう

あまたの書籍があり、あまたのブログが世の中にあります。
時々、ふと、みんな何のために書いているのだろうと思うことがあります。


私は・・・というと、最初に書いたように、医師のいない分娩場所がなくなるように願って書いています。あるいはこちらに書いたように、まだまだ言葉にされていない新生児の視点のようなものから周産期医療や育児周辺の話題を自分なりに考えてみたいと思っています。


自分だけの思索だけではなく、誰かが読んでくれていることを期待しているから書いています。
大勢の人ではなくてよいのです。
助産師だけでお産をしたい」と思っている人をひとりでも踏みとどませられたら、一番うれしく思うことでしょう。
あるいは「吸わせれば母乳は出る」と「授乳指導」に頑張りすぎている、かつての私のような助産師が読んでくれて、少し力を抜いてくれれば・・・とも思って書いています。


そして、こんなど素人のブログですが、読んで何かを感じてくださる方がいることに本当に感謝しています。



なんのために私は書いているのか。
それはただ読んでもらえるだけでなく、相手の行動を変えたいからに他ならないと思います。
影響を与えることを期待して書いているのだと思います。


だからこそ、「本当に私は公に向って書くほどの者なのか。語るにはまだ早すぎるのではないか」という逡巡が常にあります。
ええ、毎日こんなに長文の記事を書いているのですけれどね。


<強い感情に押されていた時代に書いたもの>


20代の頃から、下手の横好きですが文章を書くことは好きでした。
現在のようなインターネットで、瞬時に自分の書いたものが不特定多数に読まれる時代ではありませんでした。


医療援助などのNGO(非政府組織)の情報の伝達として、ニュースレターがありました。
まだ団体の規模が小さいうちは印刷資金もないので手書きの文章を編集してコピーし、それを一部一部、会員に郵送していました。


また、自分だけのニュースレターのようなものを発行して、知人に送りつけていたこともありました。
こちらの記事に書いたように、正義感と理想に燃えて社会の問題が見えてきたように思い込んでいた時期です。


当時書いたものはすでに手元にないのですが、今読み返すと赤面しそうなものだったと思います。
世間知らずとか知識が不十分なことが恥ずかしいのではなく、感情に押されて行動をしていた自分自身が恥ずかしくなるのです。
インターネットの時代でなくて良かった、と思っています。


<当事者が伝えて欲しいものを伝える>



東南アジアで暮らして、貧困や人権抑圧、そして日本の戦争責任や経済進出の影響などに憤っていた私のところに、ある日松井やよりさんが訪ねてこられました。
誰かから聞いて、その地域の状況を調べようと足を運んでくださったのでした。


当時、朝日新聞編集委員という立場の方が一記者として、しかもどこの馬の骨かわからない私を訪ねてこられたことにも驚きましたし、松井やよりさんといえば「女たちの」ために戦争責任を追及する活動家というイメージでしたから、どんな(過激な)取材をされるのだろうと緊張していました。


松井やよりさんは、ニコニコと私の前に現れたのでした。
なんて気負いのない方だろうというのが初対面の印象でした。


その地域の住民運動をしていた私の友人に案内されるままに、松井さんはあちこちと見てまわられました。
その間、要所要所では何か簡単な質問をされていた記憶がありますが、現地の人が話すのを静かにきいていらっしゃいました。


当時、東南アジアだけでなく解放の神学を生み出した中南米など、開発と貧困、独裁政権と人権問題の構造は途上国では共通したものがありました。
松井やよりさんのことですから、当然そういう根本的な構造もご存知のはずですし、編集委員という立場で大局に切り込んだ記事にすることも可能だったと思います。


ところがその後、松井やよりさんが送ってくださった記事は、現地の人たちが伝えて欲しかったことが数段の記事に簡潔にまとめられたものだったと記憶しています。


松井やよりさんは当事者の語ることに耳を傾ける取材に徹し、当事者が伝えて欲しいことを伝えようとされたのかもしれません。


そして、たとえ同じような状況でもひとつとして同じ現場はなく、自分の足で事実を確認されることを大事にされていたのかもしれないと思っています。