「バナナと日本人」

ある食品を食べないことにこだわりを持っていた時期があったことは「ヴェジタリアンをやめた訳」に書きましたが、もうひとつ食べるのをやめたものがありました。


それはバナナです。


1990年代初めに東南アジアで暮らした時に、バナナプランテーションで働く方の家に居候させてもらいました。



朝4時に起きて、まだ夜も明けないうちに迎えのトラックに乗って出勤していきました。
昼間はバナナの出荷に使うトラックの荷台に、大勢の労働者が乗り込んでプランテーションへ向かうのです。


重労働と、身を守る装備も支給されない状況で農薬の噴霧をさせられるために体を壊す人も多い状況だということでした。
労働組合はありましたが、そうした活動に積極的に関わることで解雇されることと黙ることで健康を害して解雇されること、そのどちらかしか選択がないのでした。


こちらの記事で書いたように、多国籍企業が社会の不正義の根源だと単純化して信じ込んだ私は、その多国籍企業ロゴマークがついたバナナを買う気にはならなくなったのでした。


いつからか、またバナナも買うようになりました。
特に、少し傷がついたり黒い部分があって値引きされてしまったバナナがこのまま処分されてしまわないようにと思って買っています。



<「バナナと日本人」と「エビと日本人」>


1982年に岩波新書から「バナナと日本人」(鶴見良行氏)という本が出されています。
こちらの記事で紹介した「エビと日本人」は、このバナナの研究に続くものであったことを村井吉敬氏は同書のプロローグで以下のように書いています。

鶴見良行さんはバナナ研究が終了した頃、つぎのように書いている。
「バナナという熱帯植物について、最大の問題は、農園労働者と小地主のあまりにもむごたらしい搾取のされ方であり、輸出市場を四大企業が握っていることだ。農園労働者と小地主が団結すれば、大企業に対抗する力は強まるだろう。
 こうした問題について、消費者である日本市民は、どう対処したらよいのか。バナナなんて今日の贅沢な食生活では、とるに足らぬ食品である。だがその学習は、今までに見えなかった世界の一端を照らしてくれる。
 今年は、仲間たちとエビに取りくんでみたい」(『朝日新聞』1882年1月18日夕刊)
何回かの話し合いで「バナナの次はエビをやろう」と、私たちは決めた。

そして1988年に「エビと日本人」が出版されました。


鶴見良行さんに出会う>


鶴見良行氏に、一度お会いしたことがあります。
1990年代初めの頃でした。


私が住んでいた東南アジアのある地域で、日本や先進国向けの農水産物の輸出のための経済開発が地元の人たちの生活にどのような影響を与えているのか、とあるシンポジウムで話をさせてもらった時でした。


バナナプランテーションの労働者の話もしたそのシンポジウムの後で、「この人が鶴見良行さんだよ」と紹介されました。


実を言うと、私は「バナナと日本人」もその著者の鶴見良行さんのことも、それまで知らなかったのでした。
ただ偶然が重なって、バナナプランテーションの労働者の方の家に居候し、日本の食卓向けのバナナあるいはマグロやエビにも、現地の貧困や搾取が根強く関係していることに、「なぜみんな知らないのか」という怒りに満ちて報告をしたのでした。


鶴見さんに初めてお会いしたあとすぐに、「バナナと日本人」を読みました。


ああ、もう十数年以上も前からとっくに気づき、研究をしていた方がいらっしゃったのです。
そしてその鶴見さんの前で私は得々として語っていたのだと思うと、今でも穴があったら入りたい気持になります。


でも、あの時の鶴見さんは、反論も訂正もされずに静かに耳を傾けてくださったのでした。


鶴見良行氏も村井吉敬氏も、そして前回紹介した松井やより氏も、相手によってはかなり厳しい批判をしてきた方々だったと思います。
でも、当事者が語る時には相手に語らせ、自分は静かに耳を傾ける人たちでもあったと思い返しています。