産科診療所から 2 <一人医長から複数の産科医の時代へ>

1980年代終りに私が助産師として最初に就職した病院は、常勤の産婦人科医が一人でした。
その先生が休暇を取る時にだけ、もう一人の先生が手伝いに来てくださっていました。
つまり、常時、産婦人科医は一人です。


お産があると電話で呼ばれ、夜中でも徒歩10分ほどの自宅から来てくださっていました。
先生だって休養や気分転換は大事ですから時には外出もされますが、1〜2時間おきに出先から病棟へ電話をかけてきてお産が入っていないかを確認されていました。
本当に気が休まらなかったことだろうと思います。
先生だけでなく、そのご家族もまた。



その病院には、ブログの初めに書いたように、他の病院では見かけないほど高齢の60代から80代までのベテランの助産師が勤務していました。
おそらく、信頼して先生もお産を任せていられたのだと思います。
それに比べて助産師として新卒だった私の夜勤の時には、もしかしたら相当緊張感を与えてしまっていたのではないかと申し訳なく思います。


経膣分娩であれば産婦人科医一人でも問題ないのですが、緊急帝王切開が必要な状況にはどうしていたのでしょうか。
当時は自分の分娩記録も残していないので記憶がないのですが、私がその病院に勤めた3年間で、夜間・休日の緊急帝王切開の記憶がほとんどありません。
骨盤位(逆子)はまだ経膣分娩だったこともありますが、あまり複雑なお産が少なかったように思えるのです。


その理由は、おそらく年間分娩数が200未満程度だったからではないかと思います。分母が少なければ、異常分娩にあたる確率も少なくなります。
次に勤務した総合病院では、年間400件以上と分娩数が倍になった分、緊急帝王切開に当たることが俄然多くなりました。


総合病院でも産婦人科医が一人で分娩や婦人科疾患に対応していることが珍しくない時代でしたから、産科診療所では一人で対応されているところが多かったのではないかと思います。
1960年代以降、地域のお産に責任を持って対応され産科診療所を築き上げてこられたいわば初代の先生方の多くが、お一人だったのかもしれません。


総合病院に勤務している時に、近隣の産科診療所から分娩停止のために搬送されてきて帝王切開をしたこともありました。当時は地域の産科医療をよく知らなかったので、「帝王切開ぐらい自分の施設ですればいいのに」と思っていました。
わずか20〜30年前に日本でもようやく産科医がお産に立ち会うようになったことに、私自身思い至らなかったのでした。


さらに、産科診療所でも帝王切開ができて当然という時代へ移ったのが1980年代〜90年代ごろなのでしょうか。
そのためには、複数の医師が必要になります。


また超音波検査分娩監視装置を初めとした診断技術の飛躍的な向上は、周産期医療にさらに正確性と安全性を求められることになりました。


産科だけではなく、婦人科でも同様に診断・治療が一気に進歩しましたから、産婦人科の先生方にとっては1990年代というのは激動の10年だったのではないかと想像しています。


<「一人医長」という言葉>


時代の変化と医学の進歩で医師の業務も責任も格段に増えたというのに、医師は充足しないまま地域のお産を守らなければなりませんでした。


当然、「広く、浅く(一人で)」という体制になります。


「一人医長」という言葉を、2000年代に入ってよく耳にするようになりました。

日本産婦人科学会の調べによると、昨年7月の時点で大学が産婦人科医を派遣している全国927病院のうち、132病院(14.2%)が一人で同科を担当し、一人医長と呼ばれている。ほぼ半数が公立病院で、東北や北陸地方では20%を越えていた。
学会は今年4月、過酷な勤務を改善するため、「ハイリスク分娩を扱う公立・公的病院は3人以上の産婦人科医勤務を原則とする」との緊急提言をまとめた。実際に一人医長を引き上げさせた大学もあり、産婦人科の「空白地帯」がひろがりつつある。
(2006年5月8日、朝日新聞

この大学から一人医長に派遣された過酷な状況を書かれた「一人産婦人科医長体制について」というブログ記事があり参考になります。


公立病院と産科診療所では、産婦人科医一人という意味が違うところもあるのですが、それでも全国の産婦人科医が「全ての分娩(あるいは婦人科疾患)を見守る」体制を築き上げてきてくださったこの半世紀ほどの歴史を、私たちは思い返す必要があると思います。



数少ない産婦人科医が「広く、浅く」そして激務のまま働き続けていることに社会が無関心であれば、いえ無関心どころかもっと産婦人科医に求めるのであれば、おそらく10年もしないうちに日本は本当に産む場所がなくなると心配しています。




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