産科診療所から 1 <この20年の遅れは取り戻せるか>

10年前に産科クリニックで働き始めようと決意した時の動機はこちらの記事に書きました。
「決意」と書くほど、病院勤務から診療所に移るのは私にとっては未知の世界へ飛び込むような印象がありました。


ひとつには、それまで総合病院にいた時には必ず小児科医がいましたが、私が働くことになったクリニックには小児科医がいないことでした。
小児科医のいない産科施設で働くのには、出産時の蘇生から出生後の異常の早期発見と小児科医のいる病院への新生児搬送など、産科医と私たち助産師で責任を負うことになります。



それから輸血ができないこともひとつです。
分娩中や出産後に大量出血した場合にも、よほどICU管理が必要なほどではない限りは総合病院では自施設で輸血を行っていました。
ところが輸血をできない私の勤務先のクリニックでは、輸血が必要なほど出血した場合や出血によるDIC(播種性血管内凝固)の可能性がある場合には早めに高次病院への搬送を決断しなければなりません。


輸血についてはクリニック側でできるように改善しても、輸血センター自体が統合縮小されてきている中で小規模施設への供給はできないかもしれません。
街の中でサイレンを鳴らしながら血液を運んでいる車を見かけると思いますが、そのセンターが集約化されているようです。


このような搬送の時間を考えて異常の早期対応をする必要という点が、総合病院にはないプレッシャーです。
「こんなになるまで・・・」と対応の遅さを指摘されるよりは、「これぐらいで送って・・・」と受け入れ先に言われても、搬送のタイミングを躊躇しないことが大事になります。


こうした新生児搬送や産後のお母さんの搬送は、たとえ赤ちゃんとお母さんが別々の施設に別れてしまっても、治療を優先して搬送しなければならない場合があります。


また帝王切開も、総合病院では緊急帝王切開でも手術室の看護師さんが術中管理を担当していました。
ところが、クリニックでは限られたスタッフ数でこの術中管理まで全てを行います。


それまで総合病院で十数年、合併症妊娠や異常分娩もそこそこに経験していますし、助産師になる前は看護師として外科・内科での急変の対応も経験してきた私でも、診療所で働くことは最初は大きな不安がありました。


いえ、もしかすると異常を知っているが故の不安だともいえると思いますが。


<日本の分娩の半数を担ってきた診療所>


総合病院に勤務していた時も、近くにはいくつかの産科診療所がありましたが、正直なところあまり関心がありませんでした。


というのも、助産師会や看護協会の関心がそうであるように、出産場所というと「病院か助産所か」ぐらいに考えていたのだと思います。
助産師学校の同期も、就職先はすべて総合病院でした。
卒業時は、「大きな病院で経験を積んで、そのあと助産院のようなところで」と漠然と考えていましたが、産科診療所は意識もしていませんでした。


診療所に勤務して、初めてこうした小規模の産科施設が日本の分娩の半数を担ってきたことを知りました。


「周産期医療の広場」というサイトの2009年12月30日の資料に、「減り続ける分娩施設と集約化について」があります。右端のPDFをダウンロードすると15ページの全文が読めます。


その8ページに1950年代からの「わが国の出生数の年次推移」のグラフと説明があり、9ページ目には「わが国出生 分娩場所別の年次推移」があります。
その9ページ目のグラフをみれば、1960年代以降の出産が「病院」で行われるようになったというのは、実際は半数が小規模の診療所であったという意味であることがわかります。


助産師教育の中での「診療所」>


私個人の認識の低さから、診療所でのお産を考えたことがなかっただけではないと思っています。


助産師基礎教育テキスト3 『周産期における医療の質と安全』」(日本看護協会出版会、2009年)を見ると、助産師教育の中の診療所の分娩に対する認識がわかります。


「第6章 助産サービス管理」では、冒頭で次のように書かれています。

 助産というサービスは、これから具体的に紹介していく病院・助産所・診療所や地域において、医師や看護師を含む医療従事者、看護補助者や栄養士、事務部門などの多くの協力を得ながら、提供されていく。

「病院・助産所・診療所」・・・この順番はどうしてなのでしょうか?
そしてその後の、具体的な説明もこの順番で書かれています。
すみませんねぇ、つい細かいことが気になって。


おそらく、私が診療所に勤務することがなければ目に入らなかったかもしれません。


分娩数で言えば、病院>診療所>助産所の順番になると思います。


助産師の就業者数でしょうか?
日本看護協会が昨年12月に出した「助産師のキャリアパス・クリニカルラダーの基礎的理解」(111ページもあります、注意)の3ページ目に「2011年 就業場所別助産師数」の表があり、病院(21,023人)>診療所(8,144人)>助産所(1,861人)となっていますから、就業者数の順番でもないようです。


何よりも医療のレベルを考えたら、病院>診療所>助産所になると思います。


<経験を積んだ助産師が質の高いケアを目指せる場所>


私個人の考えとしては、助産師の免許取得後はやはり総合病院で異常妊娠・異常分娩の経験、救急時の看護の経験を積んだほうがよいと思います。


ある程度全体を見渡せる経験量になったら(これは一概にどれくらいとは言えないのですが)、診療所ではさらに質の高いケアを目指して研鑽できると思います。


私自身、数組から10組程度のお母さんと赤ちゃんに対応するぐらいがもしかすると「ケアの適正な人数かもしれない」と最近強く思います。


病院のお産が批判されたのも、出産の集約化によって忙しすぎたことと、産科医療の急激な進歩に対応することが優先で、ケアの質を落とさざるを得なかったことが大きな要因だと思います。
それなのに、こうした診療所の良さにはほとんど目を向けてこなかったのが日本の助産師・看護界だと思います。


大病院で修行をしたあと、経験を積んだ助産師の次の働き場所として診療所に目を向けていたら、診療所の看護はもっと全国で全体に改革されたのではないかと思います。


「もうこれからは助産師だけの助産所でお産を扱う時代ではない。その代わり、経験のある助産師は診療所ではその経験を活かしながらより質の高いケアを目指せます」
20年前に、そういう方向性をきちんと打ち出していたら、結果的に大病院にも「適正なケアに必要なスタッフ数」をフィードバックすることができたことでしょう。


大病院と、医師のいない助産所という両極端の世界しか考えてこなかった助産師の将来は、自らがその可能性を狭めてしまったのではないかと思います。


産科施設の集約化が加速すれば、「日本には家庭的な診療所という出産の場所があった」と過去形になる日が近いかもしれません。




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