産科診療所から 9 <安全にかかるコスト>

世の中には、医師とくに開業医は金持ちだという思いが強いようです。
たしかにそういう方もいらっしゃると思います。


年収の詳細はわからないのですが、総合病院の産科医の場合、あれだけ毎日24時間365日拘束されて母子2人の生命に対する責任を負う過酷な仕事内容に見合った額かといえば、おそらく安すぎる収入ではないかと推測しています。
そして、医師になってしばらくは2〜3年毎にさまざまな病院へ派遣されていた場合には、退職金もないようです。


現在の診療所に勤務して、産科開業医というのはそのご家族もこんなに質素な生活なのかと驚きました。


だいたい、先生たちは散財できるほど出かけることも少ない毎日です。


私は経営のことは全くわからないのですが、何にお金がかかるかと言えば産科診療所の場合は医療の安全にかける資金なのかもしれません。


<安全のために必要な医療機器のコスト>


こちらの記事で紹介した文にあるように、「診療所も安全の確保と安楽に重点をおいて多くの診療機器を整備」には本当にお金がかかると実感します。
総合病院に勤務していた時には当たり前のように使っていた医療機器ですが、それを購入し整備して安全な医療を提供するためのコストに敏感にならざるを得なくなりました。


たとえば、私の勤務先には保育器が2台と分娩室で新生児を温めるためのインファントウォーマーが1台あります。年間300件弱の分娩でも、最低これくらいは必要です。
これだけで、外車や高級車も簡単に買えるくらいの金額です。


さらに、術後や急変時に全身状態を観察するための生体モニターが2台と、それを集中的にナースステーションで観察できるようなシステムを使っています。
この器械1台だけでも200万以上はするようです。


エコーや分娩監視装置は当然のこと、輸液ポンプ、麻酔器や酸素の配管、血液検査器、ベビー無呼吸センサーなどなど、安全のために購入する機器やシステムだけで何千万とかかります。
そして数年ぐらいで点検や修理が必要になり、買い替えを考えなければいけません。


現代の産科診療所というのは、本当にお金がかかるものだと日々痛感しています。


<安全のために必要な人件費>


安全な医療の提供のためには、マンパワーが必要です。
私が診療所に勤務し始めた当時は、夜勤は助産師の一人夜勤でお産があると看護師さんを呼び出すシステムでした。


無事にお産が終わって看護師さんが帰宅したあとに突発的な急変があったり、帝王切開術当日のお母さんと他のお母さんと赤ちゃんたち、さらには切迫早産で入院中の妊婦さんのケアまで、一人で対応していました。


一人夜勤という前近代的な看護体制が産科診療所には残っていることに驚きました。


福井県看護連盟の「夜勤体制の変化」という座談会の記事がありました。

宮永さん

一人というのはなかったですね。
私が就職した昭和44年は、助産師1人と看護師1人の二人夜勤でした。病床数は30ぐらい。夜中の分娩も結構多い時代で、時には新生児を12〜15人ぐらいお預かりすることもありました。夜勤回数については、就職した当初は当直で、日勤をして夜中とまり、分娩があったら起きるという体制でした。
(p.1)

その欄外に「2・8(ニッパチ)闘争」の説明があります。
1963(昭和38)年から「複数人(2人以上)での夜勤、一人月8回以内」を求める看護職の運動がありました。


私が1980年初めに看護師になった頃はすでに総合病院では二人夜勤は当たり前でしたが、2・8闘争で勝ち得たものだという話は時々聞きました。


その後急激に医療が高度化するのに伴って二人夜勤でも対応しきれないと、1990年代後半頃から3人夜勤を取り入れる病院が出始めたと記憶しています。
私が最後に勤務した総合病院も3人夜勤でした。


数年前からようやく勤務先の診療所でも2人夜勤となり、一人夜勤のあの極度の精神的な緊張から解放されました。
忙しいことに対してはそれほど辛くはないのですが、自分一人しかいないということはそれまでそこそこに臨床経験がある私でも恐怖に近い不安がありましたから。


夜勤を2人体制にするためには、看護スタッフ増員と夜勤手当増額という人件費が大きく診療所経営にのしかかることになります。



1960年代の産科診療所と現代の産科診療所を比較すると、経営にかかる資金内容も額も相当違うのだろうと思います。





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