雪明かりと光

今年は1月半ばには紅梅が咲き始めていたし沈丁花も早く咲きそうだったので、一気に春が来るかと思っていたらまさかの大雪でした。


やはり季節はどこかで帳尻を合わせているかのようですね。


今朝3時ごろにふと目が覚めて外を見たら、外がとても明るくて、普段なら真っ暗な時間なのにカラスが飛んでいる姿がくっきり見えるほどでした。


雪国の方たちには珍しくもない、雪明かりです。


たしかに雪に光が反射して明るく見えるのでしょうが、昔のように街灯がない時代はどうだったのでしょうか。
蛍雪の光の話があるくらいなので、昔から雪明かりを感じていたのでしょう。


どれくらいの何の光に反射しているのか、そしてどれくらい明るいのか気になって検索してみたのですが、あのwikipediaでさえ雪明かりの現象を説明した項はないようです。
検索して出てくるのは、イベントや文学的な話だけでした。


<街のあかるさ>


私が幼稚園児だった1960年代後半に、父親の転勤で都内からある山間部の地域へ引っ越しました。


都内に住んでいた頃はこちらの記事に書いたように、都内では内風呂のある家庭の方が少なく、親に連れられて銭湯に通っていました。
夜でも、その道は街灯があったのでそれほどは暗くなかったような記憶があります。


ところが引っ越した地域は、夜になるとあたりは真っ暗闇でした。
こども心にそれが怖くもあり、心細くもあったのでしょう。
私にとって、その地域に転居した時期の記憶というのはなんとも心細いような気持ちだけが蘇ってくるのです。


父はその時代にしては早くから運転免許を取り車を持っていましたが、その地域の国道は夜になると真っ暗でした。
車で出かける楽しさよりもあの真っ暗な道を走る恐怖心の方が強くて、家に着くまではずっと目をつぶっていました。


1969(昭和44)年に東名高速道路が全線開通してからは、関西にある祖父母の家に高速道路を徹夜で走って行くようになりました。


どこまでもどこまでも、道路が明るいことがとてもうれしく感じたのでした。


あの頃から、日本は世界でもまれなほど夜が明るい国へと変わっていったのでしょう。


<一寸先は闇>


1980年代に働いた難民キャンプでは、夜になると満天の星が見えました。
360度、どこをみても迫ってくるように星が輝いていました。


難民キャンプではところどころに外灯がありましたから、全く暗闇になるわけではありませんでした。


ある日、難民キャンプ近隣の村の民家に泊めてもらう機会がありました。
ちょうど新月の日でした。


夜、懐中電灯を持たずに外に出てみたら、足元どころか隣に立っている友人さえも見えないほどの暗さでした。
見上げると空には同じように満天の星が輝いているのですが、自分の周囲は全く見えないのです。


「一寸先は闇」は、「未来のことは全く予測することができない」ことの喩えとしか使われていないのですが、あれは本当に3cmほど近くのものさえ見えない暗闇でした。
子どもの頃に過ごした地域でも記憶にないほどの暗闇を、初めて体験したのでした。


昔の人は、月の明かりも星の明かりも、そして雪明かりさえもとても貴重な光だったのだろうと思います。


雪明かり。
それはどこからくる光に反射して、闇に明かりをもたらしているのでしょうか。