10年前に総合病院から小規模の産科診療所に移ってから、小規模ゆえのスタッフのチームワークのよさやケアを充実させていくことができることに私自身はとても満足しています。
ただ「家庭的な組織」とも言い換えられるそのよさは、やはり諸刃の剣になるデメリットもあると思っています。
その最大のデメリットは、医療・看護の情報が伝わりにくく変革しにくいことにあるかもしれません。
<情報が伝わりにくい>
総合病院では、全国的に医療のシステムが変わる時にはかならず情報が伝達されてきました。
たとえば、薬剤の副作用に関する情報が出れば薬剤師からニュースとして病棟にもきちんと伝わります。
1990年代ごろから病院内にさまざまな委員会の設立が規定されてきました。
安全管理委員会や院内感染対策委員会、あるいは褥創創傷委員会など、国内で標準化された対応を取り入れ、さらに病院全体で対策を統一していくことができるようになりました。
1980年代の病院というのは、まだまだ各病棟の医師・看護スタッフ個々の判断で「これが効果がある(はず)」という経験則で対応が行われていました。
1990年代にはこちらの記事で書いたように、院内感染標準予防対策が取り入れられて日本の病院の意識と風景を大きく変えたといっても過言ではないと思います。
それまでも段階的に血液や体液に触れる可能性のある医療用品は使い捨てにするようになっていましたが、それはその病院でディスポ製品を使う経済的余裕がどれだけあるかというコスト面での判断が大きかったのではないかと思います、
1996年を境に、基本的にこの院内感染予防対策を遵守する方向へ変わりました。
こういう時に総合病院であれば、日本全体の変化をすぐに察知して確実に情報が末端のスタッフにまで伝わります。
普段は目の前の看護業務に追われていて、とても世の中の変化まで敏感に察知する余裕がなくても大事な情報は伝わってきました。
ところが、私が勤務し始めた診療所では、こうした看護に必要な医療の情報がどこからも入ってこないのでした。
本を探し、インターネットで医療・看護の情報を自分で取捨選択して、スタッフに伝えるしかありません。
自分が選択したこの情報は、本当に標準的なものなのだろうかと不安になることもありました。
経験則にたよっていた1980年代の病院時代へ戻ったかのような感覚になりました。
<変革しにくい>
私が産科診療所に勤務した当時はすでにCDCの標準感染予防対策が取り入れられて数年以上たっていましたが、「血液・体液に触れたものは感染の可能性がある」ということがまだまだ浸透していなくて、正直なところ愕然としました。
上でリンクした「院内感染予防対策の始まり」の記事に書いたように、1990年代初め頃までの「もったいない」感覚が強いスタッフが多かったのです。
「洗って消毒して、再生できるものは使う」「今までそれで大丈夫だった」
そういう意識が強いので、院内感染のニュースが流れてもそこから自分達の対策を考えるという土壌がないという印象を受けました。
新参者が一気にいろいろなことを変えようとすればうっとおしがられますから、優先順位を考えながらディスポ製品に切りかえたり、標準的な対応を取り入れるのに何年もかかりました。
いえ、まだまだ本当は変えたいこともあるのですが。
産科診療所でももちろん、総合病院並みに情報をきちんと取り入れて変革しているところもあると思います。
今日書いたことはあくまでも私の個人的な体験談ですから、「日本の産科診療所は」と一般化できる話ではありません。
ただ、背景を考えれば全国に同じような悩みを抱えた診療所は多いのではないかと想像がつきます。
次回からはなぜ、情報が伝わりにくく変革しにくいのか、そのあたりの背景を考えてみようと思います。
「産科診療所から」まとめはこちら。