境界線のあれこれ  35 <准看護師制度がある国となかった国>

歴史に「もし」はないのですが、それでももし日本が敗戦国にならずに戦前の医療体制が大きく変わらなかったらどうなっていたでしょうか。
あるいは准看護師制度がなく、一気に大学卒レベルの看護師教育に変わっていたらどうなっていたでしょうか。


前回の記事で紹介した「占領期における看護制度改革の成果と限界」(平岡敬子氏、呉大学看護学部)の「はじめに」でも以下のように書かれています。

日本の看護制度改革は、占領軍の主要目的である非軍事化、民主化のための政治・経済・社会・教育などの全改革の一貫として実施され、同時に日本女性の解放と自由を追求したものとしても位置づけられている。

これらの改革派、GHQ(General Head Quaters:連合軍総司令部、以下GHQと略す)という外圧によって、かなり強行に実施されたことから、日本の看護制度は、戦前のそれからドラスティックな変化を遂げた。教育制度、看護婦の職能組織が顕著にしかも短期間に向上したのは、看護の単一の改革ではなく、日本の医療に内在する封建制を払拭する目的で実施されたことが、功を奏したといえよう。概して、占領期の看護改革は高い評価を得ている。

助産師がいまだに自分たちはGHQによって無理やり看護職に組み込まれたとGHQの政策への批判が根強いのとは対照的に、他の看護の分野ではGHQによる改革として評価が高いようです。


ただし、「しかしその一方で、現在の准看護婦問題、すなわち業務不明確な二種類の看護婦がいるという矛盾もまた、占領期の看護制度改革の過程に、その起源を見出すことができる」というとらえ方は、准看護師制度を廃止し資格を一本化しようという運動では必ずと言って目にするものです。


准看護師さんにすれば同じ仕事をしているのに安い賃金であったり、低く見られていることへの不満があるでしょう。
反対に資格や教育課程が違うのになぜ同じ仕事ができるのかなど、准看護師という資格をめぐっては看護職の中にはもやもやしたものを抱えているのだと思います。


私も以前は、看護師の資格は1本化しその上で専門看護師制度を作ればよいのではないかと考えていました。
それが看護職の中の差別をなくし、看護の質を上げることになるはず、と。


ただ、最近はこうして医療の歴史を行きつ戻りつ考えていくうちに、准看護師制度は日本の看護の礎を築くのにとても大事だったのではないかと思うようになりました。


<なぜ日本ではベッドサイドのケアを大事にできたのか>


GHQが日本の看護の大改革を始めた頃は、上記の論文でも書かれているように、「看護婦は医師の診療の補助をしながら、実務を離れても下働きをし、肝心の患者は付き添っている家族が世話をしており、それは彼らが考えている看護とはほど遠いものだった」ようです。


療養上の世話という看護、いいかえればベッドサイドの看護をほとんど家族に任せていた時代から、完全看護あるいは基準看護によって看護職の仕事になったのはかなり急激な変化だったのではないかと思います。
どのように当時の看護婦は受け止めていったのだろうかと考えたとき、やはり准看護婦という段階を経たからこそ、「身の回りの世話も私たちが行う」とベッドサイドの看護に誇りを持つことができたのではいかと思えるのです。


第二次大戦が終わった頃、こちらの記事に書いたような東南アジアの国々も、当時の医療や看護の状況は日本と大差がなかったことでしょう。


そして旧宗主国などから、戦後の東南アジアの国々の教育や医療システムに大きな影響を受けたのも、日本がGHQによって改革を強行されたことと似ています。


ところが東南アジアのその国では看護職の高学歴化を一気に勧め、当時のアメリカと似たような大学教育になりました。
国民の9割が貧困層の国なのに、看護師は大学卒であるのはバランスがよいとはいえないことでしょう。


日本では現実的に高学歴化では看護師を育てられないと、准看護師の制度が作られます。
この経緯にはさまざまな当時の要因があるのでしょうが、医師が安く使える看護職が必要という理由もそのひとつだったかもしれません。


それに対し看護職側は、社会的地位を上げるために看護の一本化をめざしてきたと理解しています。


ただ看護を受ける側にとってはどちらが良かったのだろうかと、最近考えています。
准看護師制度があって、身近に看護教育をうけた人材がたくさんいたからこそベッドサイドの看護という言葉が好きな看護職集団ができたのではないかと思えるのです。


終戦後に、日本も一気に看護婦の高学歴化が進められたら、きっとナースステーションから一歩もでない看護職を生み出していたかもしれないと。


准看護師制度は、結果的に日本の看護の質を高めてきたのではないかと思えるのです。


まぁ、歴史に「もし」はないのですけれどね。





「境界線のあれこれ」まとめはこちら