運動のあれこれ 26 「平成の助産師会革命」

なんで革命なんて言葉について書き始めたかというと、昨年、偶然目にした日本助産師会出版の出版物に「平成の助産師会革命」を見つけ、それ以来「革命」とは何か行きつ戻りつ考えていたのでした。

 

私自身は日本助産師会とはほぼ無縁できたのですが、2004年の産科崩壊と言われた時期以降いろいろと助産師会の情報戦ともいえる活動には驚くことが多く、意識せざるを得ない存在です。

80年前の幻の助産師法案を持ち出して2011年に提出した法案とか。

 

冒頭の本は2017年(平成29年)に出されたものなので、こうした医療の歴史の認識のなさを反省したり、周産期医療の中での開業助産師さんたちの立場を考え直した意味での「革命」かと期待して手にとったのでした。

 

「はじめに」の以下の箇所を読んで、期待した内容とは違ったことがわかりました。

歴史は、創り上げていくものである。あたかも、正常産が助産師による妊娠期からの保健指導を通じて作られていくように。

ああ、やっぱり助産師だけでお産を扱うという役割は終わったことを認められない人たちの声が強い組織なのだろうな、と。

 

*「革命の背景」*

冒頭の本は歴代会長の紹介のあと、平成23年に就任した岡本喜代子元会長が機関紙に書いた巻頭言が掲載されています。

例えば「ーいのちと大自然に畏敬の念をー」「オーロラと自然分娩ーその見事な自然界の仕組みー」「生命を育む光に感謝を!」「今、あらためて"いのち”を考える」「助産師のDNA(ふりがなで「いのち」)の伝承」といった、「生命」「いのち」「自然」といった表現が多く、どちらかというと物語的のような話のようです。

 

何が「革命」だったのだろうと思っていたら、「第1章 革命の背景 ー看護制度一本化の動向ー」がありました。

どうやら1981年(昭和56年)ごろからの日本看護協会による看護制度の一本化への動きが発端のようです。

かつて、日本看護協会には、三職能の助産婦深い、保健婦部会、看護婦部会の三部会があり、それぞれの部会で独自に決議権を有していた。しかし、昭和56年度(1981年)の日本看護協会通常総会において部会制が廃止され、決議権のない三職能となった。

 

組織の一本化を決議した翌年には、保健婦助産婦・看護婦の資格取得の教育を4年生大学制にし、医師と同様、助産婦、保健婦を無くし、1つの資格「看護師」とする案の検討を決議した。(中略)

すなわち、日本看護協会は「大学学士課程の看護基礎教育および卒業後3ヶ月以上の研修で、看護師(仮称)の免許で分娩介助ができる」という方針を打ち出した。(中略)

 

しかし、当時、助産師教育、制度、業務に関連する主な団体である日本助産師会、全国助産婦教育協議会、全国助産婦教育研究会の3団体は、この案に反対出会った。3団体は、「助産婦教育は看護教育終了後に位置付ける」という見解出会った。(中略)

 

そして、平成 18年度の日本看護協会通常総会(当時、久常節子会長)でこの方針が変更されるまでの22年間は、3団体は助産師をいらないとする日本看護協会とは一線を画し、各団体が活動していくことになった。

 確かに看護基礎教育の大学化で揺れていた時期でしたから、議論は混沌としていたのだろうと推測しています。

ただ「助産師はいらない」と言ったのではなく、むしろ全員が専門看護師へという雰囲気だったと私は受け止めていたのですが、このあたりは立場によって理解が違うのでしょうか。

 

*「革命前夜と当日」*

何れにしても、岡本元会長が就任する前年までには、従来の助産師教育の方法が踏襲されたのですから、では「革命」とは何を指しているのだろうと読み進めると、「革命前夜と当日」という章がありました。それで私のあの経験を思い出したのでした。

 

内容をまとめると、どうやら昭和59年から平成3年まで就任していた伊藤隆子元会長が日本助産学会の理事に予定されていたことがきっかけだったようです。

 『助産婦の戦後』の著者である大林道子氏が、この著作のために日本看護協会の関連役員や伊藤隆子会長に取材しており、そこで伊藤氏から、「このまま看護協会に吸収してもらってもいい」旨の話を聞いたことが、ことの発端であった。大林道子氏の証言が全国助産婦教育協議会側の準備委員会に伝わり、「看護制度一本化を阻止するために設立する団体の長に、助産婦はいらないと考える日本看護協会よりの人物を置くわけにはいかない」との決断がされたのである。

 

そして「革命が起こった原因」では、伊藤氏ら当時の会長、副会長などが任期を過ぎても選挙を行っていなかったこと、当時会員が毎年700人から1000人規模で減少していたのに会員増加対策を講じず、スタッフの給与を増額したことから、「会は自然消滅すると」いう強い危機感が 10数名の理事や有志を動かしたと書かれていました。

 

で、革命とはなんだったかといえば、伊藤氏側の候補者と対する多賀琳子氏が同票を獲得し、決定は「ルールに従い、くじ引きで決めることになり、まずクジを引く順番を決めるジャンケンが行われ」結局、多賀氏の当選が決まったとのこと。

ちょっと、なんだかなあという話。

 

さて、確かに当時の助産婦会は開業助産婦の高齢化と助産所の閉鎖で会員が大幅に減って、風前の灯の時代だったことでしょう。

冒頭の本では伊藤隆子会長の時代には会員獲得の対策をしていなかった、そして将来を考えると勤務助産師にも入ってもらおうとしたのは多賀元会長の時代からのように書かれています。

でも、私の記憶にあるのは、1980年代終わりのころに助産婦学校を訪ねてこられた伊藤隆子氏が「これからは病院で働くみなさんも、ぜひ助産婦会に入ってください」と頭を下げた姿でした。

 

本当に「革命」という言葉を使ってよかったのでしょうか。

出版する前に、誰か引き止める人もいなかったのでしょうか。

 

 

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