境界線のあれこれ 47  <「知識」と「本当に理解した」ということ>

20代初めの頃に犬養道子氏の本に出会い、海外医療協力に関心を持ったことはこちらの記事で書きました。


犬養道子さんは「新約聖書物語」「旧約聖書物語」や「聖書を旅する」など、聖書の理解への手引書となる本を何冊も書かれています。


そのどの本に書かれていたのか忘れてしまったのですが、「(キリスト教を)知識として知っていることと本当に理解しているということは違う」ということが書かれていて、20代の私の心に深く刻み込まれました。


その後、私の周囲にキリスト教関係の方が増えてきたときに、その意味が少しずつわかるようになりました。


聖職者でもないのに、まるで聖書とその解説書を暗記でもしているかのように滔々と聖書の知識を持っているような方々がいらっしゃいます。
最初の頃は、その雰囲気に圧倒されていました。


ところがそのような方々の日々の生活を見ると、やはり生身の人間の苦悩や葛藤に溢れています。忍耐力の無さや相手への関心の薄さからくる問題を抱えているのに、自分の行動はなかなか変えられない・・・というように。


聖書の知識があることはインテリジェンスが高いと見なされるかもしれないけれど、聖書が伝えようとしていることはそのような見せかけの知識ではない。
犬養氏はそういうことを言いたかったのかもしれないと思っています。


ただ、今日の話題は聖書や宗教の話ではなく、子育て中の看護職が陥るキャリアの継続の葛藤についてあれこれ考えていることです。


<育児中の看護スタッフの採用>


私の勤務先では、週に2〜3日しかも半日だけの出勤など、育児に支障の無い程度で働き続けたい方を採用しています。


健康保険や厚生年金などを雇用者側が支払う必要がないという事務方の思惑もありますが、私個人としてはフルに仕事復帰できない看護スタッフが少しでも臨床から離れずにいられることを支援したいと思います。


とりわけ助産師は、この子育て期間に病院や診療所で行われている標準的な産科医療から完全に離れてしまうと、分娩の場に戻ることが怖くなります。
助産師の場合なまじ開業権があるために、病院・診療所で働くよりも自己流の母乳相談や百花繚乱の代替療法が広がりやすい原因のひとつではないかと思います。


少し時間に余裕が出たらいつでもお産の場に戻ってきてくれれば十分と、他のスタッフもみな受け止めています。
他のスタッフは私も含めて親の介護で仕事との両立に悩んでいる世代なので、なおさらお互い様で、今できることをできる範囲でしてくれればよいと思えるのです。


ですから今は、お子さんの熱が出たと急遽休んでも、あるいは時間になったら分娩介助途中でも帰ることも他のスタッフに気兼ねしなくてよい雰囲気ができてきたと思います。


<キャリアアップできていない焦り>


子どもを預けながら働くことに少しずつ慣れてくると、また次の壁にぶつかるようです。


子どもの状況で急遽休んだり早退しても、職場の仕事は一見問題なくまわっていくわけですから、「自分の存在は意味がないのではないか」と思いやすいようです。


あるいは外来での診療介助など時間で退勤しやすい業務にまわされる事が多いので、自分のキャリアアップに意味がないのではないかと思うようです。


「もっと大きな病院などで、研修を受けたり勉強ができるところに移った方がよいかもしれない」
そういう気持ちに傾きやすいようです。


看護職がこぞって研修に参加する勉強熱心な傾向も、こういう焦りがあるのではないかと思っています。
あるいは助産師が、上記の「開業権」の記事に書いたような民間資格を取りたがるのもこのあたりの焦りからくるのではないかと思えるのです。


<知識と実践で得た理解との違い>


このところこういう焦りの相談を立て続けに受けたので、私の思いを話しました。


たしかに小さな診療所で、何も身につかないのではないか、総合病院のほうが研修制度もしっかりして学べるのではないかと思うかもしれません。


たしかに研修で、他人の経験や考えを学ぶことも意味があるでしょう。


でも今日、たとえば外来で出会った妊婦さんからの質問や、業務の流れのトラブルの中にもいくらでも学ぶ機会があると思います。
「この妊婦さんが訴えた不調は妊娠に伴うどのような変化によるものなのか。妊娠・出産・育児にどのような影響を与えるのか。」「周産期医学の中でどの程度、その症状についてわかっているのか」「次に同じような方に相談されたら、どのようなアドバイスが必要なのか」



今日の自分の仕事の中に、いくらでも学ぶ必要のある種が隠れていると思います。
そのひとつひとつを毎日きちんと、自分で調べ自分で考える。
その積み重ねが、いつか同じ状況でも「パッと見て状況がわかり見通しを立てられる」達人看護師への道になるはず、と。


たとえ半日でも出勤してくださるスタッフはとても大事な仲間ですから、一緒に学び、実践の中から本当の知識を得る人が出てくれるとよいと思っています。


<虎の威を借りた知識に振り回されない>


そしてそれが理解できていないと、「新しい知識」を得ることが有能な看護職であるかのように誤解し、本質からはずれた誤った道に進んでしまうのではないかと思うのです。


最先端の大学病院であれ、小さな診療所であれ、私たち看護職が看護実践にひそむ法則性を見出す観察者の大事な一人であることを見失うと、NANDAの看護診断のようなものに飛びつき、めまぐるしく変わる医療体制に追従するだけの看護になってしまうことでしょう。




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