世界はひろいな 13 <「世界中どこでも、・・・」>

同じ時代を生きていても、コーヒーというとインスタントよりはむしろコーヒー豆からいれるものがまず思い浮かぶ世代もいるのだろうと思うと、時代の感覚の違いに年齢を感じるこの頃です。


コーヒーの記憶というとインスタントコーヒーから始る私ですが、そのインスタントコーヒーもあの「ダバダー」というテーマ音楽で始るネスカフェがまず思い浮かびます。


wikipediaネスカフェを見ると、日本で初めて1966年に姫路工場で国内生産がされ、「『世界中どこでも、ネスカフェ』と世界共通ブランドであることをアピールする」とあります。


そうそう、「世界中どこでも、ネスカフェ」も耳に残っています。
あのコマーシャルは私が小学校に入る頃に始ったのですね。


そしてそれから20年ほどたって、本当に「世界中どこでも、ネスカフェ」を実感しました。まぁ東南アジアのある国のことですが。
またインスタントコーヒーの入れ方もいろいろあることに驚いたのでした。


<インスタントコーヒーの入れ方もひとつではない>


インスタントコーヒーって、皆さん、どう入れますか?
と質問されるととまどうほど、カップにスプーンで粉を入れてお湯を注ぐという順番が思い浮かぶのではないかと思います。


東南アジアのある国に住んで驚いたことのひとつに、このインスタントコーヒーの入れ方があります。


街中や幹線道路沿いの食堂で、コーヒーを注文すると通常はインスタントコーヒーでした。


カップとスプーンが渡されます。
お湯が入ったポットが出てきます。
テーブルの上にある、インスタントコーヒーと粉末のミルクや砂糖を自分の好みで入れるのです。
それは好きな濃度や味にできるので便利でした。


でも、地元の人たちと私では決定的に違う入れ方になりました。


瓶の中が湿らないようにと、乾燥したスプーンで適量のコーヒーやミルクを先にカップへ入れてからお湯を注ぐ。それ以外はあり得ないと思ったのですが、ありました。


先にカップにお湯を入れ、スプーンでインスタントコーヒーを入れてかき混ぜてからそのスプーンを瓶に入れて、さらにコーヒーを追加したり粉末のミルクを入れるのです。



「あーーー、瓶の中の粉が湿っけちゃうのに」と思い、そう伝えたこともあるのですが、皆、意に介しませんでした。


インスタントコーヒーの入れ方の風習というと大仰ですが、文化や風習と言うのは端から見たら不合理のようでも根付いた力は強く、日本人の私の行動様式もまたそういう面があることを心しなければと思ったのでした。


<「世界中どこでも、ネスカフェ」>


さて、その国の辺境の地までよく出かけるようになったのが1980年代終りの頃からでした。


市場から遠く離れた村にも、日用品や雑貨を扱う小さなお店が必ずあります。


都市部でまとめて購入されたものが、少し離れた地域で交通費が少し加算された値段で取引されます。
そして、そこから少し離れた地域で商いをしている人がまたその店でまとめ買いをして、また少し交通費が加算されて売られます。


流通のしくみが整わなければ、経済の中心地から離れれば離れるほど、同じ商品でも値段があがっていくわけですが、日本なら富士山の登山道で割高の飲み物などを買う状態が日常的にある感じです。


そんな辺境の地に行っても目にするのが、ネスカフェでした。


当時はすでにネスレボイコットの話も知っていましたし、「なぜ世界の半分で飢えるのか」に書いたように多国籍企業アグリビジネスへの反感が私の行動に大きな影響を与えていましたから、どこでもインスタントコーヒーを飲めることよりも、どこでもネスレのロゴを見ることに複雑な心境でした。


ネスレボイコットの背景・・・ネスレ知名度


ここ数年来、母乳推進運動の歴史を行きつ戻りつ考えていたものを少し文章にしたものが2012年5月12日から書き始めた「完全母乳という言葉を問い直す」と、2013年9月8日からの「乳児用ミルクのあれこれ」のシリーズ、そして前回の記事です。


その中で、上記の「なぜ世界の半分で飢えるのか」や「調整乳反対キャンペーンの時代背景」で書いたようなネスレ批判が繰り広げられた背景には、こうしてネスカフェで世界中に知名度が高かったことが災いしたのではないかと感じるのです。


粉ミルクが手に入らないような辺境の村でも、ネスカフェはありましたから。


あるいは、日本でもインスタントコーヒーといえばネスカフェでしたから、ネスレ社と聞けば、実際にどのように粉ミルクを販売したのか、実際にどのような影響があったのかは知らなくても、なんだか巨大な企業という心理的な作用が大きく働く可能性があります。


ちなみに、辺境の地や農村の小さな店で売られているネスカフェは瓶入りではありませんでした。


今でこそ、日本でも珍しくない1回分をパックに小分けしたものでした。
それを現金があると一袋買って、何倍分かに薄めて飲んでいるのです。
「ハレの日の飲み物」だったのかもしれません。


「あ、こんな小分けした製品は便利だな。日本でも販売してくれればいいのに」と印象深く残りました。


小く分封されたコーヒーに印刷されて世界に広がったネスレ社の名前が、思わぬ災いに巻き込まれたという一面もあるような気がします。
真実はどこにあるのでしょうか。




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