10年ひとむかし 17 <小分け調味料>

スーパーの食品売り場を見て歩くのは楽しいですね。
いつも使っている店とは違うスーパーに入ってみると、「なんと!こんな商品があったのか」と驚くことがあって、それもまた楽しみのひとつです。


半年ほど前に、「なんでこれを思いつかなかったのだろう」と心震えるほど感激したのが、海苔の佃煮の小分けパックでした。
ちょっと大げさですけど。
海苔の佃煮といえば瓶の商品しか思いうかびませんでしたから、喜々として買って帰ったのでした。


瓶のタイプだと開封後に最後まで使い切れなかったり、反対に「早く食べなければ」と量を多くして塩分の取り過ぎとご飯の食べ過ぎのジレンマがありました。
その点、1回分がきっちりと決まっているし、賞味期限も長いので本当に便利。


それ以来、少し遠回りをしてその商品を扱っているスーパーで海苔の佃煮だけを買っています。



<小分け調味料の記憶>


パックにされた小分け調味料といえば、私が子どもの頃の1960年代から70年代は醤油やソース、練り辛子やわさびぐらいだったような記憶です。
醤油やソースは、パックよりもプラスチックの小さな容器に入った物が主流でした。


そのうちに、ケチャップやマヨネーズも小分けになったものが買えるようになり、さらにドレッシング類も小分け商品が出て、携帯用に重宝しました。


80年代ごろから東南アジアを行き来するようになって、日本のこの小分け調味料よりもさらに小分けが進んでいることに、生活の違いを感じました。
栄養失調児の親もまた栄養不足で書いたように、塩でさえそのつど1回分を購入するような現金収入が少ない世帯が多いので、塩や砂糖も小さな小分けにパックされて売られていました。



しょう油や魚醤、油、酢などは家から容器を持って行けば、1回分から測り売りしてくれました。
日本でも、60年代ぐらいはまだ油やしょう油は量り売りをしていた記憶が、私の中にもかすかに残っていますが。


あるいは、洗剤やシャンプー・リンスなどの日用品やインスタントコーヒーなども1回分にパックされたものでした。


当時は日本の方がむしろそういう旅行用の小分けパックにした日用品の種類が少なかったので、「わー便利!」と豊富な小分け商品に心が躍ったのですが、次第に現地の人たちの生活が見えてくると、1回分は一人分ではないことに喜べなくなったのでした。


そういう東南アジアの都市部の大型スーパーには日本の当時の小売店以上に種類豊富な商品があって、アメリカサイズのような大きさの商品をカートに入れて買っている人がたくさんいました。
小分けサイズの調味料や商品を見るたびに、あの国での生活の差を思い出します。


80年代、90年代頃は、まだ大きな容器で購入したほうが「豊かな生活」のような気がしていました。大きな容器の方が割安感もあったので小分け商品はたまに買う程度でしたが、ここ10年程は小分け商品を選択するものが増えてきました。
調味料系ああれば、塩分量や1回量がわかりやすいこと、いつでも開けたてで新鮮なこと、そして保存期間の長さなどが便利ですね。


「小分け調味料」で検索すると、「一人で」とか「弧食」という言葉とともにその便利さが書かれているものが多い印象ですが、「摂取しすぎない」とか「1回ごとに使えて保存も効き、無駄のない」あたりが高齢者世帯のニーズに合うように思います。


だんだんと家事のマネージメント能力が落ちてくると、いつ開けたかわからない食品が冷蔵庫や棚にたまっていきやすいものですから。


いろいろな食品が小分けサイズで購入できると、助かるのではないかと思います。





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