記憶についてのあれこれ 17  <特別養護老人ホーム>

老人の存在が周囲にないまま育った私が何を思ったのか、看護学校入学前の春休みを利用して、同じく看護学校へ進学する友人と一緒に特別養護老人ホームのボランティアに行きました。


1970年代、まだ日本社会の中ではなじみの薄い言葉だったボランティアという活動を受け入れていたその施設は、カトリックが経営していた施設でした。


ですから、掃除やオムツたたみ、あるいは入所している方々の話し相手など、高校を卒業したばかりで何のスキルもない私たちでも歓迎してくれました。



<今思えば老人ホームのでき始めた時代だった>


1970年代終わりの頃ですからまだ介護施設というのは少なく、特に私が高校生まで過ごした地域は地元出身以外の人は限られていましたから、記憶にある限りその施設だけでした。


そして、少し人里離れたところにひっそりと建っていました。


施設の職員の方々は、とても丁寧に入所されている方々のお世話をしていたと思いますが、その地域社会から離れた位置にあることが私には「姥捨て山」の印象として深く残りました。


1970年代に日本にはどれくらいこうした特別養護老人ホームがあったのだろうと検索していたら、「高齢者住宅と環境から見た福祉の現状 −スウェーデンの歴史から学ぶー」という資料がありました。
最後のページに「宮城県特別養護老人ホーム居室定員の推移 2001年」という表があるので、宮城県に関連して作成されたものかもしれません。


その脚注6に以下のように書かれています。

1971(昭和46)年から福祉施設の緊急整備が図られ、1970(昭和45)年にはわずか152ヵ所に過ぎなかった特別養護老人ホームは、5年後の1975(昭和50)年には539ヵ所となった。計画期間後でも増加のスピードは衰えず、10年後の1980(昭和55)年には1031ヵ所と増加した。

昔からある施設だと思ってボランティアに通っていましたが、当時はまだこうした特別養護老人ホームのあけぼのの時代だったといえるようです。


「老人ホームの施設数・定員・所在者数の年次推移」を見ると、1985(昭和60)年には1,619ヵ所(118,959人)からさらに2012(平成24)年には6,590ヵ所(475,695人)と増加しています。


施設数が4倍になっているのに対して所在者数は2倍強でしかないのは、特別養護老人ホーム以外のさまざまな介護施設の裾野が広がったことが背景でしょう。


10代の私は、高齢者になるということは身内に世話をされて感情的にもさまざまな葛藤を抱えながら自宅でなんとか頑張るか、人里離れた施設へ行くかの二択しかないような暗い気持ちになっていました。


1990年代から2000年代に入って、高齢者介護や老いをどう生きるかということに社会の関心が集まり、日本の社会も大きく変化しました。


当時40代から50代だった方々、現在の60〜70代の世代が、自らの介護経験での葛藤や苦労から社会を動かしたのだと思います。


それもまた、知識と経験が積み込まれた図書館のようなものと言えるのかもしれません。






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