記憶についてのあれこれ 16 <ひとりの老人が亡くなることは図書館がひとつなくなるようなもの>   2014年7月6日追記あり

「ひとりの老人が亡くなることは図書館がひとつなくなるようなもの」という諺がアフリカのどこかの国にあることを私が初めて聞いたのは1980年代でした。


YHOO!知恵袋では、「これはアフリカの一部族が言っていた言葉を、国連のアナン事務局長が1999年のマドリッドの会議の演説で話したものです」という説明が書かれています。


このアナン元事務局長の演説やそれがどれくらい話題になったのかは全く覚えていないのですが、もしかしたら、10年おきとか十数年おきぐらいでどこかで話題になりながらこうして諺のたぐいは伝わっていくのかもしれませんね。


<1980年代の老人>


wikipedia「高齢化社会」の説明では、「1970年(昭和45年)調査(7.1%)で高齢化社会、1995年(平成7年)調査(14.5%)で高齢社会になったことがわかった」とあり、2007年(平成19年)調査(21.5%)に超高齢社会」になったことが書かれています。


1980年代、私がまだ20代の頃ですが、20代からみたら65歳というのは老人でした。
一時期内科病棟に勤務したときにも、すでに高齢化社会の到来といわれはじめていました。入院患者さんのほとんどが70歳以上の高齢者で、たまに40代の患者さんがいると「若いね!」といわれるほどでした。


それでも、まだ社会全体ではそれほど高齢者が増えたというイメージはなく、シルバーシートも各車輌に数席あれば、見た目がいかにも高齢者という方に対応できた時代だったような記憶があります。


そして今、あと10年ちょっとでその「老人」に自分が入るなんて実感もなく、また周囲の60代70代の元気さを見ると、医療保険制度に後期高齢者という新たな区分が必要になるほど、高齢者の幅は広く層が厚くなった時代の変化を感じます。


電車やバスに乗っていても、周囲はあきらかに60代以上の方がほとんど占めていて、50代の私でも座っているのが居心地がわるい状況が増えました。
全席優先席という考え方が出てくるのもしかたがないかもしれません。


<アフリカの老人>


さて、この諺にあるアフリカの老人とはどのような年代を指すのでしょうか。


開発途上国と呼ばれる地域で暮らした経験がある人なら、50〜60代だろうと思ったらまだ30〜40代だったというような、外見と実年齢の差に驚いた経験は必ずあるのではないかと思います。


国別の平均寿命(2012年)を見ると日本は断トツの80歳代ですが、アフリカなどではまだ40代から50代という国々があります。
日本の終戦直後ぐらいの状況といえるのかもしれません。


1980年代にアフリカで暮らした時に、たしかに周囲に日本社会の感覚で老人といえる年齢の方はほんとうに珍しい存在でした。
この諺を知った時にも、80代ぐらいで長老の風貌の老人は貴重な存在で、その地域の歴史の生き証人として大事にされているイメージをなんとなく持っていました。


最近は、もしかしたらこの平均寿命に近い年齢、つまり50歳前後の人たちが「老人」であり図書館のような存在と思われていた可能性もあるのではないかと、勝手に推測しています。


冒頭のアナン元事務局長の演説のこの部分です。
(原典が探せなかったので、孫引きです)

Older persons are intermediaries between the past, and the present and the future.

過去から現在そして未来への橋渡し役とでも訳すのでしょうか。


「10年ひとむかし」で書いたように、案外と今ある社会のここ20〜30年の変化というのはまだまだ歴史として認識されにくいものです。


半世紀ぐらい生きて初めてその過去と現在がつながって見えてくる。
たとえば、「昔のやさしいお産」なんて幻想にすぎないよとはっきりいえる世代になる。


そのように半世紀ほど生きた年代層が、図書館役としての老人になっていくことかもしれないと。


あ、もちろん私はまだ老人ではありませんけれどね。





<2014年7月6日 追記>


renyankoさんが、上記アナン元事務局長の演説を探してくださいました。
こちらのようです。
renyankoさん、ありがとうございます。





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