前々回の記事でアナン元事務局長の演説の一部がYAHOO!知恵袋に書かれていたものを孫引きで引用しましたが、検索してみたのですが結局原典は見つかりませんでした。
そのYAHOO!知恵袋の回答で引用されていた残りの「Their wisdom and experience from a variable lifeline in society」の部分ですが、動詞がないのでたぶん引用者が間違えたのではないかと思いますが、「老人の知恵と経験は社会にとってまぎれもない命綱になる」というもののようです。
この「老人」とはどの年代なのか、そして「知恵と経験」とは何をさすのか。
それは、生きていた時代によって、あるいは住んでいる地域によってもイメージするものは異なるのかもしれません。
<「老人」のイメージ>
私が小学生だった1960年代終わりの頃に、母方の祖父母の家にはひいおばあちゃんがまだいました。
遠方だったので2〜3年に一度行くくらいなので、会ったのは2回ぐらいでした。
離れの小さな部屋にいつもちょこんと坐っていました。
当時私から見て、十分に老人で「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼んでいた大正生まれの祖父母も、今思えばまだ50代でした。
ですからあのひいおばあちゃんは、70代だったのではないかと思います。
でも私の記憶の中では、90代ぐらいの姿に見えるのです。
こちらの表を見ると、女性の平均寿命が50代から70代に急激に伸びた時期です。
もしかしたら70代でも、現在とは違って「生き抜いた」と思わせるほど、少ない高齢者のひとりだったのかもしれません。
<祖父母の時代と両親の時代>
祖父母は1990年代に、それぞれ80代で天寿を全うしました。
それほど長く入院することもなく、最後は肺炎で亡くなったと記憶しています。
ひいおばあちゃんが長男の祖父の家にいたように、祖父母はまたその長男とともに暮らしていました。
畑も土地もあるので、それが当然とされていたのだと思います。
祖父母の家が遠方だったことにくわえて、父親が転勤族だったことと、こちらの記事の最後に書いたように母は姑と関わることを拒否したので、私は両親それぞれの祖父母との思い出は数えるほどしかありませんし、身近に「老人」がいないまま育ちました。
両親ともに兄弟姉妹が数人いますから、両親に代わって他の兄弟が祖父母の世話をしました。
私に「老人」と関わった記憶が少ないように、両親もまたほとんど老人を世話をする機会がない人たちだったといえます。
両親のような現在の70〜90代の世代には、あんがいそういう人が多いのではないでしょうか。
そして現在50〜60代の世代は子どもが1人か2人の核家族時代ですから、一人で複数の高齢者を世話することも珍しくなくなりました。
「老人」とは一言では表せないほどの時代の変化を感じるこの頃です。
急激に超高齢化社会に入りましたが、老人を介護する経験がなかった世代が老人になった時代でもあるのかもしれません。
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