実験のようなもの 6 <同じ方向を求めていたつもりがまったく違う方向になることがある>

なぜ、議場に子どもを連れて行った映像や海外の議場に子どもを連れている議員の写真に「危なさ」を感じたのか。
それは、1970年代ごろからの出産や母乳育児をめぐる動きと同じパターンだからだと感じています。


私が助産師になった80年代終わりごろから、翻弄され続けて来たとも言えるのが自然なお産運動でした。
総合病院に勤務していましたが、決して産む人の快適性をないがしろにしていたわけではなく、出産の安全性と快適性をどうしたらよいのか試行錯誤していたと思い返しています。


ところが、「病院のお産は冷たい」というイメージを広げ、医療介入のない助産所の分娩が持ち上げられました。
誰かが「日本の医療はこんなに問題がある」「だから声を上げなければ」と突破口を作ろうと声を上げたことがきっかけになるのだと思いますが、どんどんと書籍や映像を通してイメージが広がりました。
そして、本来ならお産の怖さを知る助産師の中からもその運動に影響されて、まるで臨床の私たちが「自律していない助産師」であるかのようなイメージを広げ、院内助産とかアドバンス助産師とか、問題の本質から逸れる方向へと風向きが変わってしまいました。


たしかに、耳を傾ける必要のあることや、私たち側の変化が必要なこともありました。
ところが、どうしてもこういう運動は理想が言葉にされて注目を浴び、現実的な経験の中での葛藤には話題性が乏しいので切り捨てられて行くことになります。


「昔のように産む人が主体的な温かいお産」という作られたイメージが広がった結果、医療介入が遅れたり、オルタナティブとしての民間療法や新たな方法が次々と広がりました。
それは実験的だった、Don't do it.(すべきではない) という当たり前の結論が見えるまで、30年も40年もかかってしまうのです。


「自然なお産運動」は社会の中でそれほど求められていたわけではないことがわかり、その熱意が醒める頃に、今度は母乳育児推進運動が広がり始めました。
まるで人類は母乳だけで子どもを生き延びさせて来たかのようなイメージで。


赤ちゃんとお母さんがいつでも一緒にいられるというあたりから、「完全母乳」「出産直後(帝王切開直後も含めて)からの母子同室」という実験段階が広がったのが90年代から2000年代です。


「良いこと、正しいこと」として、あっという間に社会に広がりました。
そしてその理想がかなえられないのは、周産期医療関係者の努力不足であるかのような意見も聞かれるようになりました。
「病院のお産は冷たい」と同じように。


病院の中でもよりよい方向性を試行錯誤しているのに、そちらへ敵対する感情を社会に生み出し、同じ方向や目的を持っていたであろう社会に大きな分裂をもたらしてしまいました。


その間に、その実験的な手法のデメリットは母や子どもの死亡や健康障害だけでなく、一旦、社会に広がった理想のイメージと相手を敵視する感情を消し去ることがとても難しいということです。


「良いことなのに、正しいことなのに、なぜ反対するのか」という気持ちが、その結論を受け入れにくくしてしまうのかもしれません。


<現実的な社会的実験とも言えるものもあった>


出産・育児関連の理想を求める動きと対称的に感じるのが、80年代頃からの介護に対する動きです。


80年代にはまだ「介護」という言葉さえ聞く機会がなく、高齢者の世話は私的な問題だったのだと思い返しています。
それが社会の問題として突破口を開いたことのひとつとして、「呆け老人を抱える家族の会」がすぐに思い浮かびます。
認知症という言葉もそのケア方法もない80年代ですから、本当に「何が問題なのか」「どう対応したら良いのか」手探り状態だったのだろうと思います。


見守る家族の心身の疲弊に対応するために、大変さを話せる場、共有できる場ができ、そこから「宅老所」を作ろうという動きにつながり、家族が一時的にでも世話から解放される時間と場所があちこちで作られ始めたと記憶しています。


それがデイケアになり、宿泊型のショートステイになり、グループホームへと発展していきました。
「呆け老人」から「認知症」に、そして「世話」から「介護」に呼び名が変わったことで、それまで私的な問題だったものが社会の問題へと認識が大きく変わったのだと、当時、まだ私自身は両親の介護には直面していませんでしたが、何か明るい希望を感じた記憶があります。


「宅老所」の段階では、まだ家族の負担軽減という点が中心だったのではないかと思います。
だんだんと試行錯誤が介護ケアの専門的な視点として積み重なり、家族の負担軽減だけでなく、認知症本人にとってよいケアとは何かという段階になりました。
もちろん、現実は理想とはほど遠く、もっともっと問題や葛藤は山積みでしょうが、少なくともケアの人権が根づいてきたのではないかと思います。



社会の中で、あちこちで自発的にできてきたうねりが、時間をかけながら静かに大きく広がり確実に社会を変えて来た、介護の世界にそんな印象を持っています。


「子連れ」という運動はどこへいくのでしょうか。



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