気持ちの問題 27 <不安が共鳴しあうと社会は思わぬ方向へ動く>

1980年代にまだ認知症が「ボケ老人」と言われていた頃、私は20代でしたが、祖父母や両親がもしボケたらどうなるかという不安はありました。


そんな頃に、「呆け老人をかかえる家族の会」(現、公益社団法人認知症の人と家族の会)の活動を耳にするようになりました。
まだまだ当時は、認知症に対しての情報が社会に少ない時期でしたから、万が一の事態になったらこの会に連絡をとろう、ととても勇気づけられたのでした。


父が認知症になった頃には、80年代とは比較にならないほど認知症に対する本や情報を得られるようになったので、実際にはこうした患者会と関わることはありませんでしたが、こういう先駆け的な活動をされた方々の存在に励まされた人も多かったのではないかと思います。


さて、まだ両親の老後への不安が現実的ではない時期から、私は両親の最期の延命治療はしないつもりでいましたし、私自身の最期にも点滴を含めた積極的な治療はしない覚悟をしていました。


病院でたくさんの方の最期を看取ってもなお、「年をとったらそんなに治療はいらない」と思っていました。
もしかしたら、看護する立場でもご本人や御家族のお気持ちの変化までは見えていなくて、「自分がそうされたくない」という不安のほうが強かったのかもしれません。


ところが、父のなだからな山を登ったり降りたりするように健康状態が変化していく様子動かなかった指が1年後に動き始める様子をみると、人の死ぬ時期というのは簡単には決められないと思うようになりました。


これからも熱を出したり、何か体調に変化があるたびに、「どこまでの治療をするか」をその都度突き詰められながら判断するしかないのだと思います。


そして生きているのがつらいばかりではない、もっと深い意味があるのだと思います。


高齢者医療や認知症に対して、「生きる価値がない、生きていてもつらいだけなのだから安楽死」という声がでるのは、おそらく現実的ではないイメージからくる自分の内側の不安なのだろうと受け止めています。


<「恐れているものに心惹かれている」>



1970年代頃から広がり出した自然なお産の運動は、今思い返すと、この現実的でないイメージへの不安が強かったことが人を動かしたのだろうと思います。


医師がいないあるいは医療行為ができない場所で出産することの現実的な不安よりも、「医療行為」をされることへの不安とでもいうのでしょうか。


あるいは反対に、無痛分娩を強く希望される方の中には陣痛への不安のほうが、「硬膜外麻酔を初めとしたさまざまな医療行為」をされることよりも強いあたりも、似ているのかもしれません。


出産はそれほど人を不安にさせるのかもしれませんが、現実的に受け止めている方もいれば、イメージの中で不安が増幅しているのではないかと思う方もいる印象です。


それは良い悪いの問題でもないし、気持ちをどうすることもできないこともあります。
ですから、そういう多様な不安があることと、具体的にどのようにその多様な不安に対応していくかという現実的な方向性に向けば、もう少し出産運動も違った方向になっていたのではないかと残念に思います。


あるいは代替療法の広がりもまた、病気や育児への不安とともに広がっているのでしょう。
答えのないものに対する不安とでもいうのでしょうか。


そんな「不安」からくる行動について考えていた時に、2011年の東日本大震災原子力発電所の事故が起きました。
尋常ではない状況で広がるデマについて考えさせられました。


不安が共鳴しあって大きく社会を動かす状況をリアルタイムに経験しました。


小見出しの「恐れているものに心惹かれている」は、Wikipedia「不安」の「哲学と不安」のキルケゴールの箇所からとりました。

彼は著作中に不安について「反感的共感であり、共感的反感である」とし、不安とは「恐れているものに心惹かれている」ことであると表現している。


不安を手放したくない。
そんな気持ちが共鳴し合うと、現実的な解決とは違う方向に向きやすいのかもしれません。


不安って難しいですね。




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