イメージのあれこれ 14 <「私とあなた」の境界線を意識してきたかどうか>

「9割ぐらいはイメージでできている」
誰か偉い人が言ったわけではなく、私の思いつきです。


思春期の頃からかもしれないのですが、異性であれ同性であれ新たな出会いがあると、なんだか「すごい人と出会えた」と最初は感動して、そして少しずつ「なんだただの人だ」と減点式に気持ちが落ちていくことを繰り返していました。
今思えば、相手に対して本当に失礼な話ですね。
反対に最初は警戒して距離をおきながら接していたのに、年月を重ねるごとに相手の存在が大きくなることもあります。


そういう試行錯誤を重ねて、ようやく私も最初から相手に過剰な期待をせず、その時々のそのままの状況に反応できるようになってきたかもしれません。


そのあたりから、「人間関係も9割ぐらいはイメージでできている」とふと思いついたのでした。


<「自分がよければそれでいい」>


このことを思いついたのにはもうひとつきっかけがあって、ちょっと前ですがうさぎ林檎さんの11月19日のtwilogの中で知った「高齢者もマナーを考えて」という投稿でした。


スーパーのレジでアルバイトをしている大学生が、会計前の商品を食べた高齢者を注意したのに開き直ったという驚く話です。
なんだか子どもみたいと言えば、子どもにも失礼な話ですね。
言い換えれば「自分がよければそれでいい」といった態度かな。


私も状況は違うのですが、最近、プールでこの高齢者の子どもっぽい行動に驚かされることが多いので、そういう行動がなぜ目に付くのだろう、それに対する自分の気持ちはどう表現したら良いのだろうとあれこれ考えていたところでした。


プールや更衣室の大声の会話もそうですが、おそらくその方達は、親として子どもには「こういうところでは騒いではダメ」「他の方もいるから静かにしなさい」と注意していた過去もあったのではないかと思います。


先日も、こんなことがありました。
その日の更衣室はガラガラで、どのロッカーも空いていました。
私が使用したのは壁側から2つ目のロッカーだったのですが、その壁と私の間のロッカーに70代ぐらいの女性が何も言わずに入ってきました。
ロッカーの幅は狭いので、私が横にずれなければなりません。


「(他の壁側のロッカーも空いているのに)」とイラッっとしながらも、仕方が無いなと思いながら私は着替える服だけを持って、別のロッカーの前で着替え始めました。
私の「イラッ」を察したのでしょうか、「割り込んだと思ったのでしょう?」と言うのが聞こえてきました。
面倒なので無視していたら、他の仲間の人たちまで「いいのよ、空いているのだから。どこを使ったって」と同調し始めました。


「すみません、ここを使ってもいいですか?いつも使い慣れているので」とか言ってくれたら良かったのに、なぜか立場が逆転したのでした。


いやはや、子どもみたいとその時はちょっとあきれたのでした。



<高齢者のイメージと現実>


なぜ、私はいらいらしたのだろうと、そのあともしばらく考えていたのですが、おそらく私の高齢者のイメージが「生きることのお手本になるような品の良い言動をする年代」にあるからなのではないかと思えて来ました。


私が子どもの頃は70代や80代と長生きの高齢者も少なかったし、特に女性はまだまだ自分の人生を楽しむといった生き方ではなく、目立たずひっそりと老いていった時代だったのだと思います。
ですから、私の中の祖父母や曽祖父母のイメージは高砂人形の翁と媼(おきなとおうな)そのものです。
人格を極めて、仙人にでもなっていくような、そんな感じ。


でもこれだけたくさんの人が高齢者になる時代に突入したのですから、それまで生きて来たように老いて行くというのが現実ではないかと思えてきました。


心身の能力が低下するのでやむを得ない行動になってしまう一面もあるのかもしれませんが、むしろ「社会のどの世代も、こういう人がいる。現在は高齢者の割合が多いので目立つ」あたりなのではないかと。


そして、若い頃から身についている考え方や行動は、よほどのことがなければ変えることは難しいだろうなと。
もしかしたら、やはり、子どもの頃から「Thank You」「Excuse me」と、「私とあなたとの境界線」を意識したかどうかの差がこのあたりに出るのかもしれない、主語がない言語の社会の一面なのかもしれないと思いついたのですが事実は如何に。



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