医療と解剖

医療ドラマはなんだか見ているのが気恥ずかしいような気分になるので、今までほとんど見た事がないのですが、「ゼロの真実〜監察医・松本真央〜」は録画してみています。


きっと実際の刑事さんたちも、「相棒」を観るのは同じような気恥ずかしい気持ちかもしれないと想像してます。
ま、フィクションですからね。


そのドラマの中に流れる「監察医務院。それは、人が受ける最後の医療現場」というナレーションに、医療現場で働きながらハッとさせられたのでした。


もちろん全てのご遺体を検視したり解剖しているわけではないのですが、現代医療というのは解剖に始まり解剖に終わると言ってもよいほど、解剖なくして医学はないとあらためて感じます。


解剖と言えば日本にオランダ医学が入って初めて解剖に関する本が翻訳がされた解体新書です。

明和8年(1771年)3月4日、蘭方医杉田玄白前野良沢中川淳庵らは、小塚原の刑場において罪人の腑分け(解剖)を見学した。玄白と良沢の二人はオランダ渡りの解剖学書『ターヘル・アナトミア』をそれぞれ所持していた。実際の解剖と見比べて『ターヘル・アナトミア』の正確さに驚愕した玄白は、これを翻訳にしようと良沢に提案する。

人の体を観察し、正確に写実する。


どんなに自分の仮説に合わせて「こっちの方向に神経ができてほしい」と思っても、死体には事実しかありません。


徹底的なリアリズムによる解剖が現代医療の基本になっていることを、医療従事者であってもしばしば忘れてしまうのかもしれません。


<「医学における解剖学の役割」より>


NHKアーカイブス「医学における解剖学の役割」(2013年8月12日)という話がありました。

医学部・歯学部では解剖実習が、2ないし3年生に約3ヶ月にわたって行われるとのことです。

解剖というと、どうしてもメスやはさみで臓器や血管を切っていくというイメージがあるかもしれませんが、実際に学生がやっている作業は、ピンセットを丁寧に使って、細かい人体の構成成分を末梢の神経や細かい血管にいたるまで、ひとつひとつきれいに見つけ出すという作業です。
これをすべて手作業で頭のてっぺんから足の先までやる、気の遠くなる作業です。コンピューターが普及し、なんでも疑似体験ができるバーチャルな世界が蔓延している今においても、本物の人体に直接触れ続けることで、学生たちは頭の中だけでなく、体全体を使って、解剖学の理解を深め、医師としての自覚を新たにし、実習が終わる頃にはひとまわりもふたまわりも成長するのです。

20歳前後の若い人たちがご遺体に3ヶ月も向き合い、「そこに存在する組織」を忠実に写実して記憶して行く。


これが、通常医療と代替療法の根本的な違いのひとつとも言えるのではないかと思います。
もちろん代替療法でも効果が検証されれば通常医療になりますが、「こうなってほしい」という思いや願いだけでは医療としては認められないのです。


医師・歯科医師は解剖実習が教育に組まれていますが、それ以外の医療従事者はどうなのでしょうか。


たとえば、私が卒業した看護学校では解剖見学がありましたが、全ての看護学生が受けているわけではなさそうです。


また助産師教育課程では、解剖に関する教育はありません。


ノンフィクションとフィクションで1980年代以降の「自然なお産」に関するさまざまな研究や本について、むしろフィクションのように感じる事を書きました。

妊娠・出産には表裏一体である「死」を、「緻密な光景描写」ができるほどの意識と力量を持った人が書いたものではなかったから

こうした研究者だけでなく、もしかすると、妊娠・出産がきっかけで亡くなったお母さんや赤ちゃんの解剖見学の機会がすべての助産師学生にあれば、自然なお産や代替療法を無批判に取り入れることを防げたのかもしれません。

<社会にとって解剖の意味>


さて冒頭の監察医ですが、犯人探しだけでなく公衆衛生に寄与している事が書かれています。

死体解剖保存法に定義され、伝染病、中毒または災害により、死亡した疑いのある死体、その他死因の明らかでない死体(異状死体の一部)について検案、または検案によっても死因の判明しない場合には解剖を行うことでその死因を明らかにし、また、公衆衛生の向上を図っている。

その「意義」に以下のように書かれています。

治安
その人の死因の確定すなわち自他殺の別、業務上の死か否か、などを確定することで関係者間の諸権利の適正な整理を行い、社会秩序の維持を図る。

「公衆衛生」として、社会の変化に伴って、それまではほとんど起こらなかったような死因が増えて来ていることに対して以下のように書かれています。

公衆衛生
こうした死亡原因を科学的に究明することにより、疾病の予防や事故死の発生防止など公衆衛生の充実を図るという役割。

私たちの社会というのは、すみずみまで医療によって守るシステムがあるのだといえます。


そしてその医療というのは、何かで演出する余地のないほど事実と事実の積み重ねである解剖を基礎としているのだと、冒頭のドラマを思いました。