行間を読む 21 <「安定した生活を求めるために、女性のほうから選択したという側面があった>

前回の記事で紹介した「纏足をほどこした女性たち」の中に、以下のような文があり、著者は「女性の制限付きの主体性」と読んでいました。

安定した生活を求めるために、またファッションとしても女性のほうから選択したという側面があった。

これを言い換えるなら、「したたかな女性」というのがぴったりくるかなと思います。
自分の生き方も含めてですが。


たしかにまだ男尊女卑の思想や風習などは根強いし、女性の社会的・経済的進出も限られたままですが、世の中にはこの女性側からの「制限付き主体性」をあえて選択している状況も多いのではないかと思えます。
日本だけでなく、世界のあちこちで。


男女平等という言葉では言い尽くせない、そして決して女性は弱者ともいえない二面性があるように思えるのです。


今日はまとまりのない、そんな二面性のあれこれです。


<1980年代、海外へ>


1980年代初め、日本からも海外旅行に出かける人が増えていましたが、まだそれほど気軽にという雰囲気ではなく「一生に一度か2度くらいの贅沢」という感じだったのかもしれません。
日程も数日から1週間程度が精一杯の範囲でした。


そんな中、欧米から10年ほど遅れてバックパッカーと呼ばれる旅行者もぼちぼち増えていた時代でした。


その頃、日本にでき始めていた海外援助団体の事務所には、こうした人たちが現地の情報案内役のように出入りすることがありましたが、まだ「終身雇用制」が主流だった日本で、特に男性でバックパッカーとして放浪の旅をしている人たちはちょっとアウトローのような空気が漂っていました。


高校あるいは大学を卒業したら、定年退職まで勤務することを考えて職場を選択することが、私の同世代の男性にはまだまだ強く求められていました。


むしろ女性のほうが、どうせ結婚退職を求められるのだから今のうちに退職して好きなことをしようと、海外へ飛び出すきっかけになった人も多いのかもしれません。


<看護職は女性の中でも安定した職業>


私が20代前半で海外医療救援活動に飛び出したのは、経済的に豊かな国が貧しい国を助けるのは当然という善意と正義感に押されたものだったのですが、それを可能にしたのは看護職という女性の中でも給料が高く、また退職してもいくらでも雇用機会がある職種だったからといえます。


「看護師の年収、本当に高いの?データーで見る!ナースのお給料事情」のように、実際女性の職業の中では高収入の職種です。また、看護協会の「民間に勤務する看護師の給与水準」をみると、年齢とともに「寝たきりカーブ」といわれるようにその経験量にみあった収入になりにくい点はありますが、新卒の頃の収入は女性としては高いものです。


卒後3年ほどで貯まったお金を武器に、私は海外へ飛び立ちました。


経済力がある、雇用機会がある。
これは女性を大きく羽ばたたせる条件であるに違いありません。


かつて産婆という職業が、貧困から脱して「階層を超える手段」であったように。


<女性と海外出稼ぎ>


私が日本から海外へ飛び立った頃、東南アジアからも海外へ出る女性が増えました。


それがジャパゆきさんと呼ばれた人たちで、「日本で半年も働けば国へ帰って家が建てられる」(wikiより)と日本に働きに来た女性を待っていたのは売春強要、給与不払いなどでした。


そういう女性を救済し本国へ返す活動をする団体もできました。


来日してから売春を強要され、定職がないどころか自己破産している日本人男性のもとでオーバーステイとして日本に住んでいる女性が、以前、勤務先に飛び込み出産で入院したことがありました。
同世代の彼女が考えるだけでも恐ろしい世界にいることに耐えられず、ボランティア団体を通じて無事に本国へ帰国させられた時には本当に安堵しました。


ところが、2年ほどすぎた頃でしょうか。
その彼女が再入国している話を聞きました。日本でまたお金を稼ぐために、と。


したたかだと思う反面、責めることはできませんでした。


<女性の外見を武器に>


最初は少しエキゾチックな容貌というだけで東南アジアから日本に働きにくる道が合法・非合法でも開けていましたが、こちらに書いたように出稼ぎも2層化していきました。


容姿が整っていればエンターテナーとして華やかな世界へ、特別な才能や容姿ではなければ中近東や東南アジアに家政婦として出稼ぎに行くのです。


男性もまたその国々から海外へ出稼ぎに出ていましたが、多くが工事現場などで働く労働者などの肉体労働しか選択肢がありませんでした。


「安定した生活を求めるために、(またファッションとしても)女性のほうから選択したという側面があった」
女性の海外出稼ぎにも、似たような一面があるのではないでしょうか。


そして韓国の産後調理院が1997年に始まり、同じ頃「韓流スター」ブームが作られたことを思い返すと、ちょうど美容整形の技術が社会に広がりだした時期でもあり、なんとか経済力を得るために考えだした手段が、韓国の美容整形ブームを作り出すことになったのではないかと勝手に推測しています。


外見を変え、経済力を得る機会や女性として生きる安定性をしたたかにねらい、女性が出自や階層を超える手段として広がった美容整形が、「産後院にいる間に整形を」と結びついてビジネスになった可能性はないのでしょうか。


考えれば考えるほど、私が日々接している出産直後の女性に必要と思われる「産後ケア」とは根本的に違うもののような気がしてしまうのです。






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