産後ケアとは何か 25 <産後ケアについての医療と代替療法の違い>

「産後ケア」という言葉自体がまだ定義されていないものであることはこちらで書きました。


同じ言葉でも「産前の体型と自信、免疫力と意欲、健康を取り戻し」と、周産期医療の中で考えている産後ケアとは違う意味が社会に広がっているのだと驚きます。


ただ目新しいわけではなく、骨盤万能論で紹介したように、昭和に入って作られた野口整体では「骨盤がきちんとして女らしくなる」「出産を女性の体を整えてより健康により美しくなるためのチャンス」というとらえ方をしています。


それを「産後ケア」と言い替えて、さらに「次は自身がサービスを提供する側へ」と資格商売につなげるところが現代風といえるのかもしれません。


もちろん気持ちよい、楽しいということも「ニーズ」のひとつではあるし、それで小金がまわること自体は問題ではないと思います。


ただ、「ケア」という言葉をより正確に考えるとすれば、医療と代替療法(的)なものが指し示すケアの違いがあるのではないかと思います。



<社会の中の問題として立ち向かう覚悟があるか>


医療の視点をもったケアと代替療法が使う「ケア」の違いは、そのニーズが社会に認知されるような方向でケアが作り出されていくかどうかという点ではないかと思います。


たとえば、冒頭の「骨盤の万能論」では野口整体に以下のような考え方があったことを紹介しました。

痙攣、寝小便、神経痛といったようなものも、分娩後の収縮の経過をスムーズにすることで治ってしまう。

この野口晴哉氏の「誕生前後の生活」が書かれた時代背景についてはこちらこちらに書きました。


「血の道」という言葉が医学によって俗語になっていったように、野口氏が整体のニーズとしてとらえたものも、現在ではおおよそ医学で対応できるようになりました。


たとえば「痙攣」は妊娠高血圧症(妊娠中毒症)によるものを指していたのではないかと思いますが、現在では妊娠中から産後までの血圧や全身管理についてはほぼ標準化されています。
それは治療という狭い医学だけでなく、たとえばこちらで紹介した岩手県のように、妊娠中毒症の妊産婦や乳児死亡を減らすための公衆衛生や福祉や経済への総合的な政策があったから解決できたのだと思います。


「寝小便」は産後の尿漏れだと思いますが、こちらもコンチネンスケアの標準化とともに、誰もが無償でその知識を得られるようになりました。


こうしたケアの方向性は、こちらで紹介した上野千鶴子氏が書かれている「『私的な領域』の政治化」といえるのではないでしょうか。


妊娠・出産時におこる痙攣も尿漏れも「私的な領域」にとどまらせることなく、社会的なアプローチが必要であるととらえるのが医学に基づくケアなのだと思います。


それに対して代替療法的な産後ケアというのは、産後の女性の心身の問題をあくまでも私的領域にとどめようとするだけでなく、そのニーズまで作り出しているといえます。


それは、「産後は容姿が衰える」「美しい母親でいるべき」「産後の過ごし方が悪いと更年期にも影響する」などの言葉で女性を不安にさせることで成り立っているのかもしれません。




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