行間を読む 64 <「日本の妊産婦を救うために2015」>

看護学生時代の麻酔科の教科書を思い出していたら、もう少し麻酔科の歴史を知りたくなって、医学・看護関係の本を扱う書店にぶらりと出かけてみました。
残念ながら求めている本には出会わなかったのですが、こちらの記事で紹介した厚生労働省の研究班が出した本を見つけました。


「日本の妊産婦を救うために 2015」


2015年4月に初版が出されているようです。
東京医学社の周産期関係の本は定期的に書店でチェックしていたのに、なんと2年間も気づかずにいました。
今回、偶然にもこの研究のことを知りたいと思った時に、書店で目にしたのでした。


ちょっと長いのですが、巻頭言を紹介します。

 妊産婦死亡率は、国の保健や医療レベルを比較するための指標としてしばしば利用されています。以前から、わが国の妊産婦死亡率が、先進諸国の中で高い部類になることが問題となっていました。30年前の1985(昭和60)年に、10万出生対15.8であり、米国の7.8、英国の7.0の倍以上でした。この時期は、政府が周産期医療整備対策事業として、地域ごとに周産期母子医療センターを設立し、もともと先進諸国中、最も低かった周産期死亡率と新生児死亡率はさらに改善し、現在でも世界のトップを独走しています。このこととは対象的に、妊産婦死亡率の減少は緩慢でした。「周産期母子医療センター構想」は、低出生体重児をはじめとする病的新生児の医療には効果的であったのですが、母体安全に対してはウイークポイントをもっていたのです。

 このことが露呈したのが、2006(平成18)年の奈良県町立大淀病院と、その2年後2008(平成20)年に起こった都立墨東病院での妊娠中の脳出血例による妊産婦死亡でした。母体に起こった一般救急症に直ちに対応ができなかったことは、完備されたと思われていた周産期医療システムのウイークポイントをついた出来事だったのです。

 2006(平成18)年から、日本産婦人科医会の多大な協力を得て、われわれ厚生労働研究班は、「わが国の妊産婦死亡の調査と評価に関するモデル事業」として、第3者による症例検討会を開始しました。その目的は、死因を究明することによって、今後の再発予防に役立て、周産期医療の安全性を向上させるためです。妊娠中や分娩後にお亡くなりになった方々の死因を究明することは、今後の周産期医療の治療やシステムを改善するために、極めて重要なことです。2004(平成16)年に、福島県帝王切開中に亡くなられた癒着胎盤の事例は、産婦人科医師が業務上過失致死罪と医師法違反で逮捕されたことによって、医学会のみだけでなく国民の大きな関心を引きました。この例をきっかけに、日本産婦人科学会と日本産婦人科医会を中心とした学術団体では、学会テーマとして「癒着胎盤」を取り上げ、より良い治療法の開発や周産期医療体制改善に関する研究発表の機会が多く設定されました。その結果、それ以降2012年まで癒着胎盤による直接的な出血死が、本研究班が把握する限り1例も発生していません。このことは、残念ながらお亡くなりになった方の死因を明らかにすることで、今後の医療や医療システムの改善につなげることが可能なことを示す事柄だと思います。

 「日本の妊産婦の生命を救うために2015」は、これまで5年間の妊産婦死亡症例検討評価委員会の活動をもとに、母体の安全性を高めるための提言をまとめたものです。毎年、「母体安全への提言」として5〜6項目の提言を発信してきましたが、本書はより網羅的な内容となっています。著者は、実際に症例検討評価を行っている医師にお願いしました。一人でも多くの方が、安全に次世代を生み育むことができる周産期医療体制を整備していくために、本書がお役にたてばと思います。
(以降、強調は引用者による)

私が看護師になり、途中で助産師を選択した頃からのまさに変遷と重なっている内容です。
私が働いている周産期医療と看護は、こういうリスクマネージメントに基づきより良い医療になるようなシステムによって守られて来たのだと、改めてその全体を見ることができる巻頭言でした。



<なぜ「緊急提言」だったのか>



この「日本の妊産婦を救うために2015」では、「基本編」の最初に「麻酔が関連する妊産婦死亡」があり、「はじめに」では以下のように書かれています。

 1991年、1992年の妊産婦死亡症例検討(長屋班)によれば、麻酔を原因とする妊産婦死亡が5例あり、死亡原因の6位であった。その内容は、気管挿管など不適切な麻酔管理に起因するものが4例、帰室後の誤嚥が1例あった。米国や英国の妊産婦死亡率調査においても、麻酔を原因とする妊産婦死亡は順位こそ低いものの、減少傾向に陰りがみられることが懸念されている。

 池田班の妊産婦死亡症例検討評価委員会では、2006年からの3年間は後ろ向きに、2010年からはほぼリアルタイムに症例検討を重ねてきたが、2014年までに検討した合計222例の中で、麻酔が直接の原因と考えられ得た妊産婦死亡事例は1例も認めなかった。一方で、周術期の麻酔管理が妊産婦死亡に関連したかもしれない事例が4例あり、前置癒着胎盤での大量出血への対応2例、麻酔前投薬後の肺水腫、術後疼痛管理中の突然死が各1例であった。


この本が出された2015年4月の時点では、無痛分娩も含めた麻酔が直接の死因になった例がなかったということのようです。


その後、「無痛分娩のニュース」に書かれているように、2016年4月までの症例検討の中で麻酔による中毒死が初めて報告され、さらに今年1月の件が起きたために「緊急提言」になったという流れだったのだと、ようやくつながりました。


事例検討をするシステムがあるからこその緊急提言であること、その意味はこちら側にいる人とそうでない人では受け取り方が全く違うのかもしれません。
いえ、周産期医療で働く人も、なかなかその提言の背景や真意の伝わり方が一様にはならないところが、現実の問題の難しさなのでしょうか。




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