行間を読む 23  <なぜ産後院は『医療』ではなかったか>

ぽむぽむさんの韓国産後院見学記の中に、韓国の産後院(産後調理院)は「医療行為でない産後ケア」という位置づけで始まったことが書かれています。


たしかに、日本でも退院後の産後支援ヘルパーの派遣のような家事・育児は「医療行為」ではないし、医療でもありませんから、その家事支援の部分だけを集約化させた施設ととらえるのであれば、確かに「医療行為でない産後ケア」ですし、日本の産褥入院がホテル業の法律によることも理解できます。


自宅に戻っても産後の手伝いがなく、家事・育児が産褥期のお母さんの負担になっている人が増えたため、家事支援を集約化した産後院の需要ができ、ビジネスにもなったというところなのでしょうか。
このあたりの韓国の当時の状況がわかるものが私にはないので、今後掘り下げた研究がでることを待ちたいと思います。


<産後の共同生活から自宅へ、自宅から共同生活へ>


韓国の産後院のことを考えていて思い出すのが、伊吹島のデービヤと呼ばれる産屋の終焉や同じ頃に各地に作られた母子健康センターです。


女性学の研究者、伏見裕子氏の論文をこちらでも紹介しました。
伊吹島の産屋は出産するためのものではなく、自宅で出産したすぐあとにデービヤにうつって産後1か月ほどを共同生活をしながら休養することが目的だったそうです。


現代から考えると過酷ともいえる水汲みを始めとする家事労働から解放され、産後の休養をとることができたようです。


1960年代にはいると「自宅で産み自宅でそのまま休養をとる」人が増え、デービヤという産後の集団生活の場は終焉を迎えます。
その理由として、伏見氏は「嫁の地位の向上」としています。


そしてその背景には、こちらこちらで紹介したように、当時は各地に母子保健センターができ、農山漁村などで産後の休養が自宅では十分にとれない女性がこのセンターに入所できるようになりました。


産後の休養が大事であるという認識を国も積極的に啓蒙し始めた時代でした。


共同生活をしなくても自宅で休養がとれる人たちは自宅へ戻り、自宅では休養がとれない人は集約化された施設で休養をとる。


そのどちらも、日本の産後ケアの考え方は「医療の視点」によって、政策としておきた変化と言ってもよいかもしれません。


<直接的な医療行為はないけれど>


たしかに産後の母子の共同宿泊施設で集約的な家事支援をする場合には、直接的な医療行為は一見必要はないかもしれません。


ただ、新生児の1ヶ月までのケアに書いたように、退院後の赤ちゃんとお母さんをすくなくとも1ヶ月健診までは産院で見守っている保健医療的なシステムがあります。


そこで大事なのは異常の早期発見と家庭での事故防止、そしてそのための「観察」というあまり形には見えない医療行為です。


少なくとも1ヶ月までの新生児を受け入れる産後ケア施設は、医療の枠組みからは切り離してはいけないのではないかと思います。


医療の枠組みとすれば、そこには国からの財源が必要になります。
政治的には「医療」の範囲はいくらでも大きくもできるし、小さくもできます。


小さくした時に、思わぬ事故が発生し揺り戻しが起きるものです。
詳細はわかりませんが、産後院での新生児の集団感染もそのひとつなのではないでしょうか。


結局はビジネスでは立ち行かなくなり、医療の視点が取り入れられ、2006年に母子保健法の改正が行われて規制が厳しくなった。


「医療行為ではない産後ケア」
この一文から、そんなことを考えました。





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