小金がまわる 2  <小金が社会を支える・・・保険>

2001年に介護保険が始まった年から、40歳以上は給与明細には「介護保険」として天引きされるようになりました。
40歳が初老と呼ばれることは知っていましたが、自分がなってみると「失礼な」と思いたくなるほどまだ老いを考えてはいない年齢層ですから、月々わずか2000円弱の保険料でも引かれているのを見るとなんだか損をしているような気分にもなりました。


でもほどなく父親が介護保険のお世話になることになり、そのありがたさを実感したのでした。


<保険がないということ>


1980年代に赴任先した国は公的な健康保険はごく限られた人しか加入できない国であったことをこちらに書きました。


現地の友人はその国の助産師で地域の母子保健を担っていましたが、彼女でさえ健康保険には入れませんでした。自ら帝王切開が必要になり、その費用は親戚からの借金での出産でした。


日本でも、「医療を受けるということは借金を抱える時代」がつい半世紀前まで当たり前であったことはこちらの記事で紹介しました。


日本の健康保険制度は、こちらの記事で紹介したように1922(大正11)年に法律ができ、1927(昭和2)年から疾病、負傷、死亡そして出産への普及が始まったようですが、当時加入できるのはごく一部の事業主に雇用された労働者だけでした。


誰もが生まれたからには老・病・死に遭遇するわけですが、それにはお金がかかります。
でもいつ何時、どうなるかは未知数です。
不安はあるけれど、それを直視しないで先送りにしたいのが人の心かもしれません。


東南アジアで働いていた20代の頃は、「なんだか自分は病気にならない、死なないような気がする」かのような、健康に対する根拠のない自信がありましたが、そんな時期でもさすがに東南アジアの国の健康保険がない状況に恐怖を感じました。


健康保険がある国に生まれてよかった、と。


<保険・・・科学的な方法だった>


「小金がまわる」という言葉がふと浮かんでから、そういえば保険も小金がまわるシステムだと思いつきました。


またお手軽ですがwikipedia保険をまず読んでみました。
健康保険のような公的保険ではなくおもに私保険について書かれていますが、今まであまり保険について考えた事がなかったとあらためて感じました。


まずは保険とは何かですが、以下のように書かれています。

保険は、偶然に発する事故(保険事故)によって生じる財産上の損失に備えて、多数の者が金銭(保険料)を出し合い、その資金によって事故が発生した者に金銭(保険金)を給付する制度。

これが社会の中でシステムとして成り立つには、ある程度、小金を拠出できるだけの経済力を国民が持っている事が大前提ですね。そしてその小金を運用するための信用できる組織が必要です。
私が暮らした1980年代のあの国には、そのどちらもなかったのでした。


目から鱗だったのは、上記wikipediaの「保険の原理」に書かれている以下の部分です。

大数の法則


確率論・統計学で確立されている大数の法則をわれわれの社会におけるさまざまなリスクに適用すると、個々の局面で捉えると予測困難で、かつ致命的な損害になりうるようなリスクであっても、同等の危険を十分な数集めることによって、確率的に予測可能になり、また経済的損失も変動の少ないものになりうると考えられる。

病人や怪我人が増加したら保険会社はつぶれてしまうのではないかと不安に感じていたのですが、きちんと計算された根拠に基づく科学的な理論が基本になっていたのですね。


いや、こんなこと当然すぎるぐらいご存知の方もいらっしゃるのでしょうが、こんな小金がまわるシステムもあるのだとちょっと感動したのでした。


もちろん公私どちらの健康保険も小金とはいえない額ですが、その予測困難なリスクに出会った時の経済的な損失と比べれば、小金だと最近は痛感しています。


40代半ばまでは健康保険を使って受診することもほとんどない私でしたが、50を過ぎると一見見た目は何ともない歯が虫歯になって思わぬ治療費がかかりました。
少しずつ健康保険を使った受診が増えるこのごろです。


こうして小金で社会を支えあってて来たのだと、保険のありがたさをあらためて感じています。






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