昨日の記事を書くために、今までのたばこについての記事を検索しました。
すでに「分煙や喫煙の時代の変化」に小まとめを作ってあったのですが、これは「喫煙」「禁煙」の視点から書いた記事です。
ところが「たばこ」「タバコ」で検索すると、まだまだ記事がありました。
例えば「紙おむつのトリビア」とたばこがどんな関係があるかというと、「タバコ1箱30円」と書いています。
あるいは「9年前の白子川の散歩の記録」では、「深夜には、無人になるタバコ店」の部分です。
こうやって「たばこ」に関する記事をもう一度並べてみると、「喫煙・禁煙」は健康問題からの視点で、「タバコ」は社会的な問題あるいは私自身のタバコの匂いが辛いという感情で使っているのに対し、「たばこ」はどちらかというと生活史に対して使い分けていたのかもしれないと思いました。
10年ほど前までは、「タバコ」に関する議論の中で「文化的な面」で保護的な意見を目にすると、多少は心がざわつきました。わかるけれど、やはり煙に悩まされるのは勘弁と。
最近は加熱タバコの広がりで煙は少なくなったものの、匂いには勘弁です。
ただ、あちこちを散歩するようになって、それぞれの地域にはそれぞれの歴史があり、それぞれの産業が発達してきたことが実感として理解できるようになると、たばこを栽培していた地域やその産業を支えてきた人のことももっと気になるようになりました。
あるいは、「そうだ、街灯が少ない時代や街はタバコ屋さんの灯に助けられていたし、それが自動販売機になっていった」と思い出しています。
時代が変わると手のひらを返すように、前の時代を批判し、特定の産業の歴史を貶めるような意見が、特にインターネットの広がりとともに瞬時に何万人もの人の反応を「正しい意見」としてしまう怖さがあります。
頑張って作っても50回の農業の中で、より良いたばこの葉を作ってきたことに誇りを持っていらっしゃった地域の方々もいることでしょう。ところが社会の風向きが変わると、まるで不要だったかのような視線になるのは、米を生産していた祖父の世代も同じでした。
その人生そのものまで否定される風潮にならない方が、落ち着いた社会と言えるのではないか。
そんな風に、私自身の気持ちが「たばこ」について変化してきました。
あらためて「たばこ」についての記事のまとめを作ってみました。
タイトルだけ見るとたばことの関連がわからないものもありますが、どこかにたばこについて書かれています。
帝王切開について考える 28 「わが国における帝王切開分娩の最近の傾向」より
気持ちの問題 30 「東京グッドマナー」と聞いて気恥ずかしい気持ち
数字のあれこれ 19 タバコの煙やにおいの測定装置はないのか?
小金がまわる 23 「年間二十数億円のタバコ税が皆様の暮らしに役立っている」?