ツルボ

10年ほど歩いている通勤路でみつけた花のひとつで最近名前がでてこなかった花があるのですが、先日咲き始めていました。


ふと名前を思い出して(ような気がして)検索したら、これが。
あ、それはウ・ツ・ボ。


自分の記憶力に自信がなくなるこのごろです。
正しい名前はツルボです。


初めてみつけた時には、その愛らしい花の様子からてっきり園芸品種だと思い調べてみたら、なんと野草だったので驚いたのでした。
当時、人生40年以上も生きて来てこの花に気づかずに来たことがとてももったいなく感じ、見ているようで目に入っていないことはたくさんあるのだなと印象に残りました。


ある日、実家に帰ったらあぜ道でツルボを見つけました。
生き字引のように花の名前を知っている母がツルボを知らなかった事と、実家の近くに咲いていた事も知らなかったことにまた驚きました。
それ以来、ツルボが咲くのを母も楽しみに待つようになったようです。


<救荒作物だったツルボ


ツルボの語源では、「イイボは飯粒(めしつぶ)であり、それが花穂をなす様をいう」とあり、稲に見立てたところから変化したのではないかということが書かれています。

ツルボの伸びだした茎の頂きにつく花穂は、始め飯粒のような淡紫色の蕾をつける。その花穂が徐々に下から上へ咲き上がる。

とあるように、咲き始めの今の季節には下のほうの花が咲いています。
咲き始めのこの時期の花の色と大きさがグラデーションを描いている様子が、また美しいものです。


その語源の話ではツルボは昔から救荒作物だったことが書かれています。
球根を食べるようですが、時間と手間がかかる灰汁抜きが必要なようです。


「第二次大戦後の食糧難の時代には、ツルボが非常食として食べられていたという」と、「おばあちゃんの植物図鑑」の中の話が紹介されています。

これは宮崎県椎葉村の記録である。ここにはツルボが救荒食として、つい最近のー昭和の時代まで食べられていたことが書かれている。ツルボを食べるにはアク抜きが肝心で、同書には3日間から1週間ほど水を継ぎ足して煮ることが必要だと書いている。

ツルボの球根は見た事がないのですが、わずか20cmほどの小さな植物ですから、その球根はそれほど大きくないのではないかと思います。


どれだけの球根を掘ったのだろう、そしてそれでどれだけお腹の足しになったのだろうと、採取の段階だけでもまた気が遠くなりそうです。


灰汁抜きが必要な理由として「リコリンが持つ水溶性の性質を利用して、水晒しと煮沸で巧みに独抜きしていた」とあります。
救荒植物を見ると数多くの植物がありますが、これを食べられるようにするためにどれだけのどのような失敗が繰り返されたのだろうと、人類が食物を確保する為の歴史にまたまた気が遠くなりそうです。


ところで第二次世界大戦あたりの食糧難を体験した母がツルボを知らなかったのは、関西で比較的天候などが安定した地域で農業を営んでいた家に育ったからかもしれないとふと思いましたが、真実は如何に。


ツルボの語源を読んで、自分の生きて来た半世紀の間は救荒食物を探す必要がなかった、人類の歴史では本当に恵まれた時代だったのだとあらためて思いました。


これからもツルボを美しい野の花と愛で続けられますように。