記憶についてのあれこれ 27  <誰を友と呼ぶのか>

父に友人が出来た話を、前回書きました。


父が在職中に、あるいは父が定年後にも自宅にはよく人が集まりました。
在職中は「部下」という立場の人たちで、定年後は「座禅を教わる」ための人たちでした。
父の「中学時代からの友人」とか「遊び仲間」といった人は、我が家では一度も話題にのぼることがありませんでした。


父には、そうした上下関係の人間関係しかないように私は感じていました。
それはつまらない人生だという見方をしていました。


でも前々回の記事で書いたように、私は父の生き方に似ていました。
思春期以降それなりに同級生の友人はいましたが、よくあるようないつも一緒にいてそれぞれの秘密ごとなどを打ち明け合って仲良くなる、そういう関係はどちらかというと苦手でした。


「友人ってなんだろう」「親友ってなんだろう」と今も、答えはでません。
今、友人は?と聞かれたら、年に1〜2回ぐらいご飯を食べてたわいない話をする3〜4人程度でしょうか。
でもそれぞれの状況が変われば、その人たちとの関係も自然消滅する可能性が大きいですが、なんとしても維持しなければというものでもないかと思っています。


人生のその時々に出会って、時間を共有し、また別れて行く。
それが友人というものでしょうか。


<父を尋ねてくれる人がいる>


さて、家に父を尋ねて来た人たちは皆、上司と部下あるいは師匠と弟子といった上下関係のようでしたから、私は父のことを権威的な関係でしか人間関係のない人だと感じていました。


ところが父が認知症になったあと、私は父の偉大さを初めて知ることになりました。


父が認知症になっても尚、父のところには毎月遠方から数人の方々が座禅を学びに尋ねてこられました。
スケジュールを忘れてしまうような父ですから、母はもうこの座禅会を止めたほうがよいのではないかとその方たちに話したのですが、教えてもらえる間は来ますと続けてくださったのでした。
次第に父の緊張による疲労感が強くなりその集まりをやめるまで、師と仰いで来てくださったそうです。


グループホームで時々、食事や催し物に出かけるのですが、その時に父の部下だったという方々が「昔とてもお世話になった」と父に声をかけてくださることが何度となくあるそうです。
権威ではなく、慕われていた一面がたくさんあったのだとわかりました。


またある方は、東京から旅行にたまたま来たので自宅によってくださり、すでに両親ともに施設に入っていたので閉まっていたのですが、わざわざ隣の家にまで「出かけているのか」聞いてくださったそうです。
それで父がグループホームに入っていることを知り、旅行の途中にもかかわらず日程を変えてまでも父に会いに来てくださったとのことでした。


もちろん父はもう覚えていませんでしたが、「昔よくしてもらった。もう二度と会えないかもしれないと思うと・・・」と再会を喜んでくださったそうです。


父には真の友人がたくさんいたのだと、今は誇りに思うのです。





「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら