先日、テレビをつけたらNHKの「くらし☆解説」の「認知症 音楽で笑顔を」という番組が放送されていました。
「若い頃のことなんて忘れたわ。90になるのだもの」と話していた90代の認知症の女性に、昔好きだった音楽を聴かせたら表情が明るくなり、子どものことなどを語りだす様子が映し出されていたところから私は観始めました。
マイケル・ロサト監督という名前が出ていたので、番組のあと検索してみました。
「パーソナル・ソング」というドキュメンタリー映画が「話題」になっているようです。
リンク先の紹介を全文引用します。
1000ドルの薬より、1曲の音楽を
現在、全米で500万、日本でも高齢者の4人に一人、約400万人以上いるとされ、今後も爆発的に増え続けると言われている認知症やアルツハイマー患者たち。いまだ特効薬がなく、先進国の間で深刻な社会問題化している。
アメリカのソーシャル・ワーカー、ダン・コーエンはかつてIT業界で働いていた。あるとき「患者がiPodで自分の好きな歌(パーソナル・ソング)を聞けば、音楽の記憶とともに何かを思いだすのではないかと思いつく。
実験を始めてすぐに効果が表れた。
長年認知症を煩い、娘の名前も思い出せずふさぎこんでいる94歳の黒人男性のヘンリー。昔好きだったギャブ・キャロウェイの音楽を聴いた途端、突然スイッチが入ったように、音楽に合わせて容器に歌いだし周囲を驚かせた。音楽を止めた後にも饒舌になり、音楽の素晴らしさや仕事のこと、家族のことを次々に語りだす。
多くの患者たちも劇的な反応を見せる。
この映画はそうした奇跡の瞬間をいくつも見せてくれる。
私たちは人が失われた記憶を呼び戻す幸せな場面に立ち会うことができ、喜びを手に入れた高齢者たちに深い感動を覚え涙するに違いない。
音楽をきっかけに何かを突然思い出す認知症の方がいらっしゃるのは事実かもしれません。
私の父の場合には、座禅の話題から今まで知らなかった父の人生を初めて聞くことがあります。
ただ、この番組と映画の説明を読んで何か違うと直感したのは、タグに「代替療法」を入れたように、音楽療法という代替療法の話題が伏線にあって、「奇跡の」「感動の」話にさせられたからだと思います。
「認知症の人の記憶を呼び戻したい」という認知症でない人の希望を叶える、そんな思いつきから始まった思い込み、というのは言いすぎでしょうか。
そしてきちんと検証もないままビジネスになっていく。
<思い出したくないこともある>
人には誰でもひとつや二つ、心の奥底に封印したまま人生を終えたいと思うような記憶があるのではないでしょうか。
私にもあります。
もし私が認知症になった時に、そのことだけは蘇らないで欲しいと思うような記憶が。
父を見ていると、日本軍のエリートとして教育をうけたことが誇りであったことが嘘のように、認知症になってからはあの戦争前後の記憶が忘却の彼方へといってしまったようです。
きっと父には思い出したくない時代だったのかもしれません。
以前、何の番組だったか、理学療法士さんが昔日本軍の兵士だった男性に銃剣を持たせて「記憶を呼び戻させる」ことを試していることが好意的に紹介されていました。
あ、なんて恐ろしいことをするのだろうと胸が痛みました。
人には思い出したくない事もある。忘れている事で精神が安定する事もある。
たとえ音楽といえども、いえ音楽だからこそ感情が一気に呼び覚まされてその記憶に向き合わなければいけなくなる可能性もありますね。
<「今、思い出した事を忘れる」ことへの不安>
父にとって娘の私の記憶はなくなり、顔は覚えてくれているけれど妹になっています。
グループホームに面会に行くと、「この人は誰ですか?」と父の記憶を試すような質問をするスタッフの方がいるので、やんわりと制止するようにしています。
記憶の辻褄を合わせようとしている父の表情が一瞬険しくなるのからです。
さりげなく私の方から「妹です」と伝えると、安心したような表情になります。
認知症の人を前にすると専門職の人でさえその記憶を試したくなるのかもしれませんが、覚えているかどうかを試されること、言い替えれば「忘れた記憶の存在」を意識させられることは認知症の方には不安と緊張を与えるのではないかということをこちらに書きました。
そして認知症の場合、「思い出した」ことの喜びよりは、「今、思い出したことをそのそばから忘れていく」ことに不安と絶望を感じやすいのではないかと思います。
認知症の人の記憶を呼び戻す、さまざまな代替療法。
本当にそれは本人の幸せなのでしょうか。
奇跡や感動話にすることで、認知症でない人自身の不安から目をそらしたいだけように私には思えるのです。
「記憶についてのあれこれ」まとめはこちら。