「バースハピネス」の記事で紹介した講演の内容で、赤線で強調した部分からは、自然なお産とかBFH(赤ちゃんに優しい病院)やカンガルーケアといったWHO/UNICEFが後押ししてきた母乳育児推進の流れの影響も強い印象ですが、それにバーストラウマや胎内記憶といった自己啓発系やベビーマッサージのような代替療法的なものがいろいろ混ざっていている印象です。
「ニセ科学とつきあうために」の「ニセ科学は白黒つける」「ニセ科学は脅かす」「ニセ科学は願いをかなえる」「個人的体験と客観的事実」あたりを読むとよいかもしれません。
この講演内容が「ニセ科学」というわけではないのですが、それに近づいてしまっているのではないかと思います。
第一線のNICUで働いていらっしゃる先生たちなら、大人のそういう強い思い込みの結果、搬送されてきた胎児や新生児を私たち以上に多くご存知なのだろうと思っていたので、こういうお考えにたどり着くのはどうしてだろうと、何よりもそのあたりが気になりました。
「演者略歴」の「現況」にこんなことが書かれていました。
我が家には、妻(60歳)と石垣島から来た14歳になる雑種の雌犬がおります。妻は「婦人之友」友の会会員として忙しい毎日を送っています。長女(37歳)は助産師で5年前に府立母子で女児を、4年前12月に自宅で女児をそして2年前11月に男児を自宅で分娩し、現在妊娠中です。三女(33歳)が4年前旧知の助産院で女児を、2年前7月に別の助産院で女児を産み、次女(35歳)が府立母子で3年前9月に男児を、10月に助産院で女児を産みました。長男(30歳)は会社員でこの9月に家から出ました。娘達のお産からも母親がリラックスしてこそ、分娩そして家族が穏やかなものになるとつくづく感じています。
父の娘への感情、一般化はできないのかもしれませんが、時に自分の信念を曲げることを辞さないこともあるのかもしれないと、私の父とのあることを思い出したのでした。
<娘の味方になる>
父は日本軍の軍人としておそらく強いイデオロギーを叩き込まれ、そして戦後も他の国に対しては心を閉じているかのようでした。
母が海外旅行に誘っても、頑なに拒んでいたようです。
その娘が東南アジアを行き来し、あの太平洋戦争を批判的に捉え、そして日本が資源獲得のために東南アジアで何をしたのが疑問をもったことに対して、父はおそらく心穏やかではなかったことと思います。
そのうちに、日本がかつて侵略したその地域で、現代でも日本の政府開発援助が関係した強制立ち退きが行われていたり、そのためにその国の政府軍が自国民に銃を向けていることに、私の正義感が刺激されました、
その現状を一人でも多くの人に知って欲しいと、小さな報告会を自主的に開いていました。
ある時、父が父の元部下を集めた場を設定してくれたのです。
父の仕事は国のために尽くす内容でしたから、当然、部下の方たちも似たような考えの方達です。
その人たちを前にして、私はかつて日本が植民地化しようとした東南アジアの今の様子、そして日本の政府開発援助によるインフラ整備のために話し合いの場もないまま強制立ち退きが行われていること、反対したり疑問を持った人は「反政府ゲリラ」とされて政府軍によってサルベージされていることなどを話しました。
「自分たちは国を護っている」というプライドを持った方達にとって、その話はどのように受け止められたのでしょうか。
ほとんど質問もないまま、気まずい雰囲気でその会は終わりました。
ただ一人、あとで私に近づいて、「あの兵士の気持ちも、殺された住民の気持ちも分かるような気がする。自分も家が貧しかったからね」と、こそっと感想を伝えてくれた人がいたことが救いでした。
あの時、なぜ、父はまるで娘に火中の栗を拾いにいかせるかのような場を設けたのでしょうか。
父の信念の方が正しいことを娘に知らしめようと、あえて同じような思想の人を集めて話をさせたのでしょうか。
違うような気がします。
やはり本当に、父は娘のために何かしてあげたいと思ったのだろうと、自分の信念を曲げてまでも。
あるいは、娘に嫌われたくないといった気持ちかもしれません。
「気持ちの問題」まとめはこちら。