存在する 13 <ノブレス・オブリージュ>

競泳日本選手権の開会式では、協賛企業へ感謝状を渡す場面があります。
十数年前に初めて競泳会場へ足を運んだ時には、この形式的なように見えるプログラムがちょっと退屈でした。


最近は、これがノブレス・オブリージュなのだとつながってきました。


この言葉を最初知ったのは、たしか80年代に読んだ犬養道子さんの本だったと思います。
未だに、正確な意味や背景はよく知らないのですが、Wikipediaの「特権は、それを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべき」「『高貴さは(義務を)強制する』を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うことを指す」というニュアンスで理解しています。
犬養道子さんの本ではたしかブルフライト奨学金のことが書かれていて、終戦直後の経済的に厳しい日本から多くの人が留学生としてアメリカで学ぶことができ、その後、政治や経済などさまざまな分野で活躍する人を生み出したといった内容だったと思います。


たしかに、思い悩むな、生きるために必要なものは与えられるというのは勇気をくれる言葉ですが、現実には生活さえもままならない状況に陥ることも、明日は我が身の恐怖があります。
何が怖いかと言うと、「自分の存在感さえ薄れていく」ことではないかと私には思えるのです。


どのような状況にあっても、衣食住の最低限の人の尊厳が守られ、そしてさらにその人のもつタラントンを生かして行けるためには、10タラントン持つ人はさらに10タラントンへと生かしていく。
イスラム教のザカートも似たような考え方でしょうか。


奨学金やスポーツへの企業の協賛といった意味でのノブレス・オブリージュは私にはあまり関係ないと思っていたのですが、散歩をするようになり、旧財閥などから寄贈された大きな庭園や公園のおかげで、豊かな時間をもらっています。


では、私はなにか社会に還元できるものがあるのだろうか。
1タラントンしか持たないとしても、何かできるのではないか。
「正義と善意」に陥いらないようにしつつ、残りの人生をどんな風に生きていきましょうか。




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