二交代の夜勤がある仕事なので、天気予報は頻繁に確認しています。
出勤時と帰宅時では、天候も気温も大きく変わる可能性があるからです。
特に気温の変化の激しい時期は、出勤する日は夏のような服装でも帰る翌日には冷え込んだりするので、何を着るか予定をたてる必要がありますし、週間予報をみて洗濯の計画もたてています。
先日、同僚が「明日は雨らしい」と言いました。
私はその日は天気が大丈夫と予報で確認して予定をいれてあったのでびっくりし、「天気予報では晴れだったけれど」と言ったのですが、「いやさっきの天気予報では天気がくずれるらしい」と相手も引きません。
ネットで確認したら、やはり私の記憶が正しくて天気は大丈夫でした。
たしかに台風が進路を変え始めていたので予報が変わる可能性もあったのですが、彼女は天気予報のどの部分が意識に残って「明日は雨」という認知になったのでしょう。
今までもブログの中で「思い込み」について書いてきたのですが、その思い込む前の段階として何かを認知する、どのように認知するかという段階があるわけですが、あらためて「認知」とはなんだろうと思いました。
いえ、本当に思っただけで、私には「認知とは」について語れる知識はないので、今日は(今日も)感想のような話です。
<認知するとは>
wikipediaの認知には、「人間などが外界にある対象を認知した上で、それが何であるかを判断したり、解釈したりする過程のことをいう。意識と同類に用いられることもある」とあります。
あれ?その「対象を認知する」の「認知」は何かを知りたかったのですが。
先に進むと以下のように書かれています。
感覚や知覚とならぶ深層の心理を表現し、外界にある対象を知覚し、経験や知識、記憶、形成された概念に基づいた思考、考察、推理などに基づいてそれを解釈する、知る、理解する、または知識を得る心理過程、情報処理のプロセスで、認知科学では、人間の知的な働きをその応用側から工学や医学、哲学、心理学、芸術学等の分野まだは学際分野から統合的に明らかにしようとする。
天気予報ひとつとっても、同じ天気図や週間予報を見ても人によって認知される部分や記憶される部分が異なり、さまざまな解釈になっていく可能性があるわけです。
同僚にとっては一時的に雨が降ることだけが意識に残り、その後は天気が回復することを予報士が説明しても意識に残らなかったのかもしれません。
人間(あるいはその他の動物も)は、日々、なんと高度な機能を使いながら生活をしているのだろうと、同僚との会話のすれ違いからあらためて感心しました。
まあ天気予報ぐらいなら記憶違いですむ話ですが、自分の認知に間違いはないと思い込むと人間関係に影響を与える事も増えてきますね。
認知とは「感覚や知覚とならぶ深層心理」であるとすれば、認知したことを客観的・多角的に見直す手段やプロセスを自分の中で持てば持つほど、思い込みにはまらなくてすむのかもしれません。
「境界線のあれこれ」まとめはこちら。