先日書いた「人は目印がなければまっすぐ泳げない」で紹介した「人間は行動の8割を視覚で制御している」が、その後ずっと気になっています。
残りの2割は何だろうと。
プールで泳いでいても、たしかに常にさまざまな確認を視覚でしていると感じます。
スタートの水から浮かび上がった時の位置はコースロープの色の変化で確認していますし、そのあとはまばたきをするのもおしいかのように、常に水中やプールサイドの様子を確認しています。
日頃はあまり意識していなかったのですが、本当に泳ぐ時にはかなり視覚に頼っていることがわかりました。
意識していなかったことを意識しながら泳いだら、手足の動きがバラバラになってしまいましたが。
数秒でもゴーグルの中で目を閉じてみようと思ったのですが、けっこう怖いものです。
<残りの2割はどのような感覚か>
視覚が重要なことはわかるのですが、では残りの2割の感覚は何だろうと意識してみました。
いえ、先行研究を読むほどの専門知識もないので、全くの自分の感触に過ぎない話ですが。
けっこう聴覚も使っています。
ただし、泳いでいると周囲の音はあまり聞こえません。
監視員さんの放送やメガホンでの注意などは申し訳ないけれど、泳いでいると「何かしゃべっている」ぐらいの音にしかなりません。
何を聴いているのかというと、自分の体と水とが接している半径1mぐらい(いい加減な数字です)の音でしょうか。
浮き上がるまでの数mぐらいの、水中の「ゴワーン」という音。
浮かび上がってからの体の周囲の水しぶきの音や、近くで泳いでいる人の水しぶきの音などで、速度や相手との距離を感じているようです。
そして無駄な抵抗がないか、自分の目で確認できない空間の動きを音でも感じています。
ただ、とても音楽を正確に聞き取れるような状況ではないので、シンクロの選手はどうやっているのだろうといつも不思議に感じます。
嗅覚も案外使っています。
シャワー室からシャンプーの香りが漂っていると、「あ、プールエンドに近くなった」とか。
でもアウトドアほどは、使われていない知覚ですね。
残りの2割でもっとも大きな比重をしめているのが、皮膚の知覚でしょうか。
皮膚に水がどのようにあたっているかという知覚から、水温や水圧の変化、そして自分の泳ぎのフォームや速度をとらえている感じです。
ああ、ちょっとじれったいですね。
いつも当たり前のように泳いでいるその行動ひとつにしても、言葉で表現することはなんて難しいのでしょうか。
まるで全身に目があるかのように、皮膚で知覚している水の変化と実際に視力でとらえている知覚が統合されて、自分の泳ぎを客観的に見ながら泳いでいるような感覚になっているのですね。
たしかに視覚は8割ぐらいかもしれませんが、水中では陸上のような視力や視覚ともまた違うような気がします。
素人の感覚ですが。
そして、「すごい。なんて速く、なんてきれいに泳げたのだろう」と会心の泳ぎでも、ビデオに撮ってみると、自分で客観的にイメージしていたつもりの泳ぎとのズレが大きいこともあるでしょう。
あ、これは陸上の行動でもありますね。
うぬぼれとか、自分のイメージが肥大しているとか。
結論。
たかが2割、されど2割。
割合では表せない複雑な統合した人間の体のうごきは、本当にすごいですね。
「自分がすごい」ではなくて・・・。
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