記憶についてのあれこれ 101 <爪の間にあるものは何か>

1年ぐらい前だったでしょうか。
半身麻痺の父の動く方の手の爪の間に、黒く汚れがあるのを見つけたのは。


「あっ」と理解しました。


しばらくして、父の動く手はベット柵に固定されるようになりました。
スタッフの方が申し訳なさそうに、「どうしてもいじってしまうので」とおっしゃっていました。


私も総合病院で働いていたときに、不穏状態になった高齢の患者さんが自分の排泄物をあちこちにつけて大変だった経験があります。
まず患者さんを落ち着けながら、手や体をきれいにし、寝具やベッドなどに付着した汚れを落とすだけでも2〜3人のスタッフで30分ぐらいかかります。


父の気持ちへの不憫さもさることながら、認知症の高齢者が入所している施設では、一日中、こういうことに対応されているのだと思うとスタッフの方々に本当に頭が下がる思いです。


父の入院している認知症の介護病棟は独特の雰囲気もあるけれど、案外秩序もある空間です。
あるいは、何度も面会にいくうちに入所されている方々も私のことを記憶してくれるのか、顔見知りの関係になってきました。


そういう様子をみていると、認知症になることもそれほど怖れることもないし、その生活も案外平穏かもしれないと思います。



ただ、観ていると、時々スタッフにひどい言葉をかけたり、暴力を振るおうとしている患者さんもいます。
そのような制御できない感情や行動と、そしてこの弄便が、認知症の介護の中で本人と介護する人を疲弊させるものなのかもしれません。


<自立を獲得した記憶があるからこその行動>


さて、冒頭でリンクしたWikipedaの説明では「大便をもてあそぶ行為」であると定義されていて、「人間としての自覚および生物としての生存本能の喪失」「合理的な目的をみとめることは少ない」と書かれていますが、ここ20年ぐらいで深まった認知症のケアへの理解からみるとちょっと違うのではないかと違和感がある書き方です。


たとえば「安心介護」というサイトの「弄便の原因」にこう書かれています。

弄便の原因は人によって異なります。
多いのは、便を便だと理解できないことや、オムツに排便することに不快感を持っていることなどです。
認知症を患っていることで、排便をしたことがうまく介護者に伝えられなかったり、不快感を取り去るためにオムツを外してなんとかしようと思い、便をいじってしまったりするのです。
つまり、弄便は周りから見ると便でもてあそんでいるように思えるかもしれませんが、実は理由があっての行為といえます。


不思議なのは、新生児にしても乳幼児にしても、排便したあとのオムツは不快だと認識しているようでも、手をつっこむことはまずないことです。
誰かに替えてもらうまで、ずっしりと重いオムツをそのままつけています。


ところが、認知症の方はこうした乳幼児と同じ状況でも外そうとしたり、いじったりします。
そのあたりを、このサイトではこう書かれています。

認知症の方がなくしていく記憶は、生まれてから生きていく為に覚えて来た記憶だそうです。
つまり、排泄の場所はトイレであるという事、排泄物は不潔だという事、は忘れてしまいますが「排泄する事」そのものはしっかりと残っています。

排泄が終わると、出た物が気になる。ので、確認したくなり触れてみる。感触を確認するのでしょう。
あちこちに塗りつけるのは、手についたものを落とそうとするのではないでしょうか。

そこには、認知症の方なりの目的をもった行動があるのだと思います。


生まれた直後から、誰かに見守られながら、繰り返し繰り返し排泄の自律や自立を獲得した記憶がどこかにあるからこそ、自分でなんとかしようとするのでしょうか。


父の指の間にある黒い汚れをウエットテイッシュで拭こうとしたら、予期しないほどの勢いで拒絶されてしまいました。
口の周りの汚れは、拭かせてくれるのに。



それ以降、私は父の爪をきれいにすることはやめました。
スタッフの方なら、おとなしく爪きりもさせているようです。


きっと父にとってあの黒い汚れは、「身内には見せたくない」ような羞恥心が沸き上がるか、誇りを傷つけるものなのかもしれません。




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