記憶についてのあれこれ 147 高校の修学旅行

金沢駅に降りた時、あちこちに修学旅行生と思われるグループがいました。

40年前に、私もあんな感じで金沢の街を歩きました。

10月だったので、もっと寒い北陸の記憶でしたが。

 

小学生の時は、修学旅行だか遠足かで上野動物園や国会議事堂などを回る日帰りのバス旅行でした。

中学では一泊二日の奈良・京都で、この時には団体貸切の新幹線に乗りました。同級生と泊りがけの旅行ということで興奮した2日間の記憶が残っているのですが、よくよく考えると、まだ東海道新幹線が開業して10年ぐらいの時期だったので、あの修学旅行で初めて新幹線に乗ったという同級生もけっこういたのかもしれません。

 

高校の修学旅行は二泊三日で、3コースの中から行きたい方面を選択し、そしてさらにグループで事前に計画を立てて現地で自由に行動するという時間もありました。

今も、数人の高校生が地図や資料を片手に行動しているのをみると、懐かしく思い出しています。

高校生にもなると、ちょっと大人の気分ですね。

 

私は部活動の仲間と一緒でしたが、なかなかどのグループにも入れそうにない同級生をどうするかという、「自由」を考え行動する機会も目的の一つだったのかもしれません。

幸いにして、グループ分けが問題になったような話は聞くこともなく、無事出発しました。

ただ、経済的な理由で修学旅行に参加できなかったらしいという同級生がいたことは、記憶に残っています。

 

*どうやって計画を立てたか*

 

国内のガイドブックもあまりない時代でしたし、地図も授業で使うような都道府県と市町村が大まかにわかるくらいのものしかなかったはずですし、今のように電車やバス路線図や時刻表を簡単に検索できるわけではなかったので、あの頃、どうやって自由時間の行動計画をたてたのだろうと、不思議な気持ちになります。

行き当たりばったりで行動したら、集合時間に間に合わなくて大変なことになりますからね。

 

先輩たちが行ったコースの記録や、旅行会社から提供された資料などを参考にしていたのでしょうか。

 

今とは比較にならない情報源で、天気予報も今のように正確に長期予報がわかる時代ではなかったのに、よく無事に旅行をしたものだと、最近遠出をするようになって改めて思います。

 

あの高校生だった私は、北陸を回って何を見たかったのだろう。

その辺りが一番、記憶にないものです。

 

そして、先日金沢駅で見かけた高校生たちは、40年前の私とは違うのだろうか、それともあまり変わらないのだろうか。

高校生の頃の旅行とは何をどれくらい理解できる旅だったのだろうと、おぼつかなさのようなものを感じる反面、あの頃、同級生たちと計画をたてた経験が今どこかに生かされているのかもしれないと、そんなことを常に意識しながらの北陸の旅になりました。

 

 

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